日本人の誇りが不況を克服する

昔は「外食」と言うことが一つのステータスだった為に「何でも注文できる」と言うファミリーレストランには魅力があったのだろうが、外食が一般的になった現在に於いては逆にコンセプトがぼやけてしまって生き残れないのかもしれない。
すかいらーくグループは低価格路線を推し進め、不採算店は閉鎖する方針。

 ファミリーレストラン最大手のすかいらーく(約3千店)は25日、09〜11年に不採算の約200店を閉めると発表した。節約志向から外食離れが進んでいるため、低価格戦略も強化。社名を冠し、70年にファミレスの先駆けとして登場した「すかいらーく」は8店を閉め、残る145店はすべて「ガスト」などに転換、姿を消す。


 ガストの客単価は約830円。これに対し、すかいらーくは1千円弱。谷真社長は「高価格帯では苦戦が続く。700円台に突入する業態開発も進める」と語った。すかいらーくを含め、約300店を低価格店に転換する。年4回のメニュー改定も2回に削減。メニュー数も1〜3割減らし、食材の量を切り詰めるなどして、10年に経常損益の黒字化を目指す。


 また、財務体質を強化するため、筆頭株主の投資会社、野村プリンシパル・ファイナンスを引受先にした約500億円(うち優先株200億円)の第三者割当増資を29日付で実施する。

「すかいらーく」が消える 閉鎖・「ガスト」などに転換 - 朝日新聞 2008/12/25 -

逆に馬車道等、外食と言ってもコンセプトがハッキリしている企業は出展数が増えている。もちろんすかいらーくグループに比べ出店数が非常に少ない、と言う事ものびる理由ではあるだろうが、消費者の節約志向が高まっている今、ラーメン店や蕎麦屋のような専門店に「これを食べたい」と出かける方が、はっきりとした外食の動機になるのではないか。


外食産業やサービス業に限らず、人件費が高まっている日本に於いては、産業と言うものは価格勝負よりはむしろ付加価値を推していくべきであると思う。
低価格勝負では人件費の低いことによってしか勝負することが出来ず、人件費が低くなると言うことは低所得者が増えると言うことでも有る。「労働者の給与」は、立場を変えれば「消費者の収入」だと言うことを、各企業の経営者は理解すべきであろう。下記はその顕著な例であるが、各業界が抱える潜在的な問題でもある。

 このうち「クルマ離れ」については、若者の消費の多様化や、魅力的なクルマの不在といったことが指摘されてきた。だが、昨今の雇用情勢の悪化を見ると、実は「購買力」が大きな問題であることが浮き彫りになる。「クルマなんてとても手が届かない」という若者が増えているのだ。


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 バブル崩壊後、日本企業は3つの過剰(債務、設備、雇用)の解消に走った。若年層の就労は非常に不安定になり、ワーキングプアと呼ばれる人々や、朝日新聞が名づけた「ロストジェネレーション」(就職氷河期に社会に出た20代後半から30代前半の層)を生み出した。


 国税庁総務省の統計を基に、20〜24歳の給与所得者数と人口の推移を表にまとめた。ここでの給与所得者は「1年を通じて勤務した人」の数であり、正社員が大半を占め、非正規従業員でも比較的就労が安定した人が対象と想定できる。


 その数は1995年にピークとなり、以降2006年まで一貫して減少した。この世代の人口の推移も給与所得者数とほぼ同じ傾向で減少しているので当然といえば当然。ただし、人口に占める給与所得者数の比率は1985年当時から10ポイント以上も落ち込んでいるのだ。


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 同じ非正規従業員でも企業が直接雇用する期間従業員に比べると派遣従業員の給与は少なく、しかも雇用期間もこま切れ。こうした将来の安定が見通せない若年層にクルマへの購入意欲を期待する方が無理だ。「クルマ離れ」には当事者の自発的な意味合いがあるが、そうではなく、無理やり引き離されたというのが実情だろう。


 自動車を含む産業界全体がそうした社会の形成に関与してきた。自動車業界では今年3月までの1年間で約1万8000人の非正規雇用者が削減される。未曾有の世界市場崩落という緊急事態にはやむを得ない措置とも考える。


 だが、今回の混乱は、若年層の購買力といった新車市場の問題点をさらすだけでなく、雇用創出という企業の大きな社会的使命を果たすうえでの課題を突きつけている。今の嵐が弱まれば、自動車産業は率先してワークシェアリングの導入など、安定した就労形態のモデルづくりに知恵を絞ってほしい。

若者のクルマ離れ、その本質は「購買力」の欠如 派遣など不安定就労社会のツケがきた - 日経ビジネスオンライン 2009/01/14 -


収入の不安定さによって未婚率も上がる。これは将来の潜在的な購買力を失っているに等しい。

 結婚はしたいが、お金がないとできない−。結婚情報サービス会社「オーネット」(東京)の調査で、今年の新成人の結婚観が明らかになった。経済状況の厳しさに将来への現実的な視点が垣間見える。
 先月12〜15日にインターネット上で調査し、新成人の男女832人から回答を得た。
 「結婚したい」新成人は80.4%に上ったが、「経済的な基盤がないとできない」も85.2%で前年調査より約15ポイント増加。不況の影響で「結婚を先延ばしにする傾向が強まると思う」は65.7%で、「早める」の7.9%を大きく上回った。
 「家庭の経済的生活を支える責任は夫にある」と考える男性は65.0%だったのに対し、女性は43.3%。一方で「相手の収入で生活の豊かさが決まる」とした女性は67.7%に上った。
 親の世代に比べ、今後の生活が「悪くなる」との回答は52.4%と過去3年で初めて5割を突破。こうした情勢などを背景に、「自分は結婚できないのではないか」と考える新成人は約12ポイント増の75.1%となった。 

「お金ないと結婚無理」8割超=新成人、将来に不安−民間調査 - 時事通信 2009/01/11 -

結婚にどれだけのお金が必要なのか。女性側からは下記のようなアンケート結果が得られている。

 プレジデント社が実施した、学歴と結婚に関するアンケート調査(25〜55歳の4大卒男女(既婚含む)1040人を対象)の結果がネットで話題となっている。


 アンケート結果によると、男性に対し学歴を問わない女性は、全体で2割で、約6割の女性がMARCH(明治、青山学院、立教、中央、法政)クラス以上を許せる学歴としていることが分かった。


 また、年収に関する調査では、8割の女性が年収500万円以上が妥協点であるという結果になった(理想は700万円以上)。学歴と年収、結婚率の関係を見てみると、「年収900万円以上」はMARCHクラス以上に大きく偏っており、結婚率も非常に高くなっている。

高学歴でも低収入だと結婚率が低いとの調査結果出る - 日刊アメーバニュース 2009/01/07 -

給与所得の二分化については以前触れたが、年収500万以下と1000万以上の構成比は増えているが、500超〜1000万以下の構成比は減っている。平成15年と19年を比べた場合、年収500万以下の構成比は54.7から55.8と1.1増加、特に300万以下の構成比が2.6も増加し、その分、400〜800万の構成比が軒並み減少している。
年収500以上の方は全体の44.3なので、半数の男が結婚対象から外れるといえるが、これは全年齢をさした場合。35歳以下の男性の平均年収は500万以下であることを考えれば、未婚男性の年収で500万を超えている方の割合は非常に少ないと考えられる。
男性は結婚相手の年収を気にしないのに、女性が結婚相手の年収を気にするのは何故か。それは結婚後に就業する意図が無いからであろう。男女の雇用機会が均等化され給与格差が無くなりつつある昨今に於いて、男性の給与のみで家計を維持するのは不可能であると結婚に対する女性の意識変化が生まれない限り、現状の未婚率上昇には歯止めがかからないだろう。


労働者の所得が減った結果、日本人の購買力は低下している。そして将来的な購買力の低下を考えたビジネスモデルを考えなければならないところまで来ている。

 日本政府観光局(JNTO)による『JNTO訪日外客実態調査2006-2007<訪問地調査編>』によれば、(訪日)観光客の34.8%がショッピングを訪日動機として挙げている。前年度1位の「伝統文化/歴史的施設」、2位の「温泉/リラックス」を軽く抜いて、一気に第1位に躍り出たのだ。


 アジア勢の「買いっぷり」については、各所で報じられているため、ご存じの読者も多いだろう。昨年初め、国土交通省が中心となって、訪日客向けの旧正月イベント「YOKOSO! JAPAN WEEKS 2008」が行われた。百貨店協会によれば、その期間の訪日客の客単価は日本人の10倍に当たる6万円だったという。


 これ以外にも、100万円を超えるゴルフセットをポンと買う韓国人観光客、銀座のワインショップで高級ワインを買い占める中国人観光客等々、かつての金満ニッポンのヨーロッパ旅行を思い起こさせるような光景が繰り広げられてきた。


 中国では、日本旅行に際して多額の保証金を必要とする。つまり、それだけの保証金を積める富裕層だけが来日しているわけだ。そう考えると、消費の大きさは当然のことと思えてくる。そして、そんな彼らが持っているのが、16億枚以上発行され、その大半がデビットカード機能を持つ「銀聯(ぎんれん)カード」である。


 この銀聯カードの恩恵を得ようと百貨店や小売、サービス業を中心に加盟店が急増している。2005年12月の開始当時はわずか200店だった加盟店が、2008年9月末には12000店となり、その後も増え続けている。かのルイ・ヴィトン松屋銀座店でさえ、店頭に銀聯のマークを掲げているのだ。


 年間の取扱高も、2007年度の40億円をはるかにしのぎ、2008年度は100億円を突破する見込みだと言う。


 ビックカメラでは日本人のカード利用平均額の約5倍を消費し、資生堂ザ・ギンザ銀座本店では月間売り上げの約2割。4割に達する月もあるという、中国人観光客の買い物っぷり。それは確実に、従来の観光産業とは異なる領域にも恩恵をもたらしてきたのである。


 日本に恩恵をもたらしたのは中国人ばかりではない。『JNTO訪日外客消費動向調査2005』によれば、訪日客の日本国内消費額のうち、6割近くを物品購入や飲食、娯楽が占めている。そもそも旅行は、日常と異なる場所で衣食住を行うことでもあり、お土産購入という物品購入も付加される。


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 今後、日本の人口、特に就労人口は減少していく。仮に途中で出生数が飛躍的に上昇したとしても、そもそもの親世代の人口がすでに縮小しているため、急激な回復は望めない。つまり、日本人だけを対象にした商売をしていれば、いずれは先細りする。これは、避けられない事実なのである。


 それだけではない。日本人自身の食生活やライフスタイルも、確実に変化してきている。それによって、苦しい戦いを強いられている産業や企業もあるのだ。


 例えば和装業界。着物離れが進む中、モダン晴れ着や、反物を使ったガウンなど多くの試みがなされているものの、芳しい成果が上がっているとは言いがたい。同様に、和室が居住空間から消えたために、建具や畳を扱う業界も厳しい状況に置かれている。


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 多くの訪日客に歓迎される商品やサービスは、日本での消費額を押し上げるだけでなく、帰国後に口コミで広がっていく。そしてそれが、新たな訪日のきっかけにもなる。訪日客が増えれば、新たな商品やサービスを開発できるチャンスが更に拡大する。この好循環が、新たな輸出機会の創出や、日本という国の魅力向上をもたらすのではないだろうか。

日本人だけを相手に商売をしていては先細り? 訪日客をお得意様にするには - 日経ビジネスオンライン 2009/01/13 -

日本の商品には付加価値があると、自惚れるのではなく価値観の転換によってそう自覚し、付加価値を認めてくれる購入者を見つけていくことが今の日本には必要である。「国内でしか売れない」「日本人にしか価値が分からない」と決め付け、自らの価値を認めないのは非常につまらない。

 文化審議会(石沢良昭会長)は16日、京都市の「三宅八幡神社奉納子育て祈願絵馬」を重要有形民俗文化財に、秋田や千葉、富山の各県に伝わる農具の箕(み)や菅笠(すげ・がさ)をつくる技術など7件を重要無形民俗文化財に指定し、長野県下諏訪町の「諏訪湖の漁労用具及び舟大工用具」など2件を登録有形民俗文化財に登録するよう、塩谷文部科学相に答申した。また記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に11件を選択するよう青木保文化庁長官に答申した。


 他の内容は次の通り。


 【重要無形民俗文化財】秋田のイタヤ箕製作技術(秋田市秋田県仙北市)▽新庄まつりの山車(やたい)行事(山形県新庄市)▽木積の藤箕製作技術(千葉県匝瑳〈そうさ〉市)▽越中福岡の菅笠製作技術(富山県高岡市)▽佐伯灯籠(どうろう)(京都府亀岡市)▽三朝(みささ)のジンショ(鳥取県三朝町)▽阿月の神明祭(山口県柳井市


 【登録有形民俗文化財】阿波木偶(でこ)の門付け用具(徳島市


 【記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財津軽の七日堂祭(青森県弘前市平川市)▽気比神社の絵馬市の習俗(青森県おいらせ町)▽お枡廻(ますまわ)しの習俗(福島県茨城県)▽鹿島みろく(茨城県鹿嶋市)▽但馬の麒麟(きりん)獅子舞(兵庫県)▽因幡麒麟獅子舞(鳥取県)▽出雲・伯耆(ほうき)の荒神祭(島根県鳥取県)▽西田のヨズクハデ製作技術(島根県大田市)▽宮島のタノモサン(広島県廿日市市)▽滝坂神楽(山口県長門市)▽神原八幡宮の取り追う祭(佐賀県伊万里市

箕や菅笠の製作技術など重要無形民俗文化財に 文化審 - 朝日新聞 2009/01/16 -

例えば箕や菅笠は、他国の農作業に利用できるかもしれない。青森県の林檎の例のように、そういった販路を官が主導で見つけるのも重要なことであろうが、日本の商社等がもっと自国の文化を理解し売れるものかどうかを考えていく事も必要であろう。
その為には日本人がもっと日本の文化と言うものを理解する必要がある。義務教育期間中にもっと「日本人らしさ」と言うものを教え、自国に対する誇りを持たせられるようにしていくべきではないか。そういう意味で、麻生総理の「欲しいもの」は私の欲しいものでも有るので、私は麻生政権を強く支持したい。

 麻生首相は12日、フジテレビの番組で、「今一番欲しいもの」を問われ、用意された色紙に毛筆で、「国家の誇り」と記した。

 世界的な経済危機からの脱却に向け、各国から日本への期待感が強いことを強調。そのうえで、「もっと自信、誇りを持っておかしくない。ぜひ持って頂きたい。自分の国、郷土に対して、誇り(を持つこと)は国の底力の一番の根源だ」と訴えた。

欲しいのは「国家の誇り」…麻生首相、テレビで力説 - 読売新聞 2009/01/13 -

今年の雇用情勢

舛添厚労相から、派遣業見直しの検討が指示された。

 舛添厚生労働相は5日の閣議後の記者会見で、すでに国会に提出している労働者派遣法改正案の修正に前向きな考えを明らかにした。さらに「個人的には」と断ったうえで、「製造業まで派遣労働を適用するのはいかがなものか。そのことも含めて検討しないといけない」と述べ、製造業派遣を禁止したい意向も明らかにした。


 政府は昨秋の臨時国会日雇い派遣の原則禁止を柱とした労働者派遣法の改正案を提出し、継続審議となっている。しかし、派遣労働者の約7割を占める登録型派遣の規制を見送ったことで労働者側から「不十分」との批判が相次いでいた。「派遣切り」が社会問題化し、さらなる規制強化に踏み込まざるをえなくなった形だ。


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 製造業派遣については小泉政権時代の04年に解禁されたことで、大手製造業の工場などでの派遣労働者が急増、今回の景気後退に伴う急速な「派遣切り」を招いたと批判されている。厚労省のまとめでは、昨年10月から今年3月までに8万5千人の非正社員が職を失う見込みだ。


 一方、河村官房長官も5日の記者会見で、今後の雇用政策のあり方について、「派遣社員の受け入れがこの問題を惹起(じゃっき)したのは紛れもない。企業の社会的責任の議論もある。内部留保をこういうときに活用し、有能な技術をもった人材確保をすることは、まさに経営者の姿勢の問題。生涯雇用の日本的経営の利点も考えながら、経営者側にも再考をお願いしたい」と述べ、経済界と連携しながら対処していく考えを示した。

厚労相、派遣法改正案の修正検討 製造業派遣の禁止も - 朝日新聞 2009/01/05 -

この内容が具体的に効果を持ってくるのが何時頃からになるかは分からないが、派遣法について修正を行うことは非常に喜ばしい。下記の変更点も含めれば、派遣社員にとって非常に助けになる。

 自民、公明両党は急激な景気悪化で雇用契約の打ち切り増加が問題になっている派遣社員の救済策を検討する。派遣会社が派遣先の企業から得る仲介料に上限を設けることで、派遣社員の報酬引き上げにつなげる案などが浮上している。


 与党の新雇用対策プロジェクトチーム(川崎二郎座長)で月内に検討を始め、労働者派遣法改正案など関連法案の通常国会提出を目指す。

派遣仲介料の上限設定検討 与党PT「派遣社員の報酬上げを」 - 日経新聞 2009/01/04 -

但し、このような議論は好況の際にしておくべき話だった。好況の際に派遣業の見直しをせずにおきながら、不況に際して問題が顕在化してから場当たり的に法整備をするのは、政治の怠慢を表していると言える。
特に派遣会社の仲介料の上限設定に関しては、派遣事業者以外には大きな問題にならなかった筈である。派遣会社は多くの派遣社員から利益を吸い上げ、派遣会社社長は高額納税者に名前を連ねたり、政府の有識者会議に名を連ねたりする等、わが世の春を謳歌していた。反面派遣社員は派遣先会社に過酷な労働を強いられ(短期労働力と言うことで比較的月単価は高い報酬が支払われている為、「正社員よりも高い給料を払っている」と言う意識があるのかもしれない)、多くの仲介手数料を支払ってきたにも関わらず、このような不況下に於いて派遣会社が身分を保証することは無い。派遣事業者と言う一部の金持ちを作り上げた事が今回の不況から立ち直れるだけの国家的経済力となるのであれば、今までの事も非常に意味のあることだったとは言えるかも知れないが、それほど爪あとの小さな話だとも思えない。


また職を失う人数としては下記のような見方もあり、今年一年で何万人の非正社員、そして正社員が職を失うかは不透明。

 急速な需要減少に対応するため製造業では派遣社員期間従業員などの非正規社員の削減を加速している。自動車業界では完成車メーカー12社合計で今年度末までに1万7000人規模を削減する見通しのほか、電機業界でも公表分だけで国内で6000人近い非正規従業員の削減が計画されている。ただ現在の生産減ペースが続くようだと部品を含む自動車業界全体で10万人以上の削減が必要になる可能性もあり、今後は正社員の削減も検討対象に浮上しそうだ。

製造業、人員になお過剰感 自動車、「10万人超」の可能性も - 日経ネット 2008/12/27 -


こういった事情からか、経団連からも「雇用」が課題との発言が出る。

 日本経団連御手洗冨士夫会長は1日、平成21年の年頭所感を発表した。


 世界経済が同時不況の様相を強める中で、御手洗会長は「世界経済は未曾有の危機にある」と強調。そのうえで「景気回復に全精力を注ぎ、危機的な経済状況から抜け出さなければならない」と不況からの脱却を最重要課題に挙げ、経済の活性化と社会の安定に向け、経済界も力を尽くす意向を示した。


 一方、社会問題にもなっている雇用問題を解決するため、取り組みを強化する必要性も訴えた。御手洗会長は「官民が協力して雇用保険などのセーフティーネットを強化するとともに、働く場の創造と人材育成に一層努力する」とし、雇用確保を重視する姿勢を強調した。

経団連会長「雇用重視」を強調 - 産経新聞 2009/01/08 -

しかし派遣の見直しは「性急」との意見が出される。

 景気回復の決め手はあるのか。6日開かれた経済3団体の新年パーティーに出席した経営者からは、麻生政権の掲げる2兆円の定額給付金の効果を疑問視する声が相次いだ。一方、「派遣切り」をきっかけに浮上した製造業派遣の規制強化には否定的な意見が強いが、労働法制見直しに前向きな意見も出始めた。


 パーティーの後に開かれた経済3団体トップによる共同記者会見。政府内で製造業派遣の禁止論が浮上していることについて、経済同友会の桜井正光・代表幹事は「製造業を派遣対象から排除するのは行き過ぎだ」と批判した。


 自動車・電機各社による「派遣切り」が相次ぐのを受け、舛添厚生労働相が「製造業まで派遣労働を適用するのはいかがなものか。国際競争を勝ち抜くため、しわ寄せが低賃金や派遣労働に行っていいのか」と発言。規制すべきだとの考えを示していた。


 これに対し、桜井氏はこの日の会見で「(失業者らに対する)セーフティーネット(安全網)の充実など手直しを考えるのが重要だ(論点1)」と指摘した。ともに記者会見に臨んだ岡村正・日本商工会議所会頭も、「うまく機能しているときは、従業員は仕事の選択ができ、企業は繁閑期の労働調整ができた」と、製造業派遣の意義を強調した。


 アサヒビール池田弘一会長も、見直し論議に対し「性急すぎる。もし製造派遣を規制すれば(企業はかえって人を雇わなくなり)失業率が高まる(論点2)」と強調。三井物産の槍田松瑩社長は「バランスのとれた柔軟な雇用の仕組みがなければ、製造業は海外に逃避する」とした。ともに規制の強化が、かえって雇用情勢を悪化させるとの指摘だ。


 経営悪化を受け大幅な人員削減に取り組んでいるソニー中鉢良治社長も「議論が内向きになりすぎている。日本の国際競争力の低下は避けなければならない(論点3)」と話した。


 ただ、これをきっかけに、労働法制のあり方を見直すべきではないかとの指摘も出ている。セブン&アイ・ホールディングス鈴木敏文会長は「正社員、非正社員という分け方が正しいのか、考える時期にきている」とする。


 日本経団連御手洗冨士夫会長も共同記者会見で、製造業派遣について「働き方の多様性というニーズに対応してきた」と、その意義を指摘したうえで、「将来の環境変化に対応するために政労使で法制の見直しをしていけばよい」と、雇用の実情に応じた検討の必要性に言及した。


 元産業再生機構専務で、現在、経営共創基盤の冨山和彦代表取締役は「非正社員に対する保護を強化する一方で正社員の保護をもっと緩めるべきではないか(論点4)」と提案した。

製造業への派遣の見直し「性急すぎる」 財界トップ - 朝日新聞 2009/01/07 -

論点1:「(失業者らに対する)セーフティーネット(安全網)の充実など手直しを考えるのが重要だ」について。
ではセーフティーネットの充実を図るために法人税の税率を上げる、と言う案には賛同してくれるのだろうか。現在社会保障費は安定的供給が見込めるとする消費税を財源とする案が持ち上がっているが、代わりに法人税を用いると言う案も考えてくれるのだろうか。
制度の見直しは重要だが、その財源をどうやって作るかについて語らないと単なる妄言になってしまう。責任ある立場の方は自分の発言に責任を持って、今後の政策実現に向けて協力して頂きたいものである。


論点2:「製造派遣を規制すれば(企業はかえって人を雇わなくなり)失業率が高まる」について。
現在も企業は余剰に人を囲っているわけではないだろう。それでも尚失業率が高まると言うことは、つまりサービス残業に代表されるような労働法を無視した経営を行うからに他ならない。むしろこのような発言が出たことを危機とし、労働基準監督所が自発的に企業の状況を確認できるような法整備を進めるべきであろう。


論点3:「日本の国際競争力の低下は避けなければならない」について。
論点2も踏まえ、人件費の高騰が国際競争力の低下に繋がる事は否めないが、無理な価格競争をすべきではなかろう。
日本が先進国として競争力を保とうとするのであれば、発展途上国には追いつけないだけの技術的な製品的価値によって保つべきである。その為には社内における技術職の優遇や研究開発費への投資等、企業体質の変化こそ生き残る術ではないか。
経営者は自らの経営力の無さによって現在企業を危機に陥れているのだということを自覚し、その建て直しを安易な経費削減にしか頼らないのだとすれば、数年後の企業体力は致命的になると言うことをもっと深刻に受け止めるべきであろう。
幸い、多くの投資銀行が潰れた現在に於いて、企業は株主への利益供与のみを考えた短期収益を目指した経営から、長期収益を考えた経営に舵を取れる状況が整ったとも言えるのだから、是非経営者の方方には大胆な改革を進めていただきたいと思う。


論点4:「非正社員に対する保護を強化する一方で正社員の保護をもっと緩めるべきではないか」について。
会社の非正規社員に対する過酷な態度が表面化した現在に於いて、正社員の保護を緩めるべきだと言うのは論外であろう。重要なのは「安定した雇用」であり、企業の人員計画にあわせた都合の良い雇用形態の制定ではない。
日本で企業活動をしていることがどれだけのメリットであり、そしてそのメリットだけを享受してデメリットを許容しようとしないのは、あたかも観光客が観光地を楽しむだけ楽しんでゴミを散らかして帰るようなものである。ゴミの片づけまで含めた上での利用代(=セーフティーネット等の社会保障費を含めた上での法人税増税)を取ろうとすれば「一部利用者の為に全員が負担するのはおかしい」「では別の観光地に行く」と文句を言い、では料金を取らないで置けば「禁止はされているだろうが他の人もやっているので私もやる」と安易な法令違反をする姿勢は、あまりにも子供じみている。
経営者の方方には、市場は食いつぶすものではなく育てるものだと言う姿勢を持って欲しい。


今年政権奪取をもくろむ民主党は、定額給付金を失業者に使うべきだと提言した。

 民主、共産、社民、国民新、新党大地の各党幹部は4日、東京・日比谷公園の「年越し派遣村」で開かれた集会に参加し、5日召集の通常国会の冒頭に、非正規労働者の雇用と住居の確保を求める決議案を衆参両院に提出することで一致した。与党にも同調を迫る。
 この後、民主党小沢一郎代表らによる幹部会を開いて決議案提出を確認。失業者が拡大している現状を踏まえ、雇用と住居の確保や生活保護制度の弾力的運用について「政治が全力で緊急に取り組むべきである」との文面で調整している。
 民主党菅直人代表代行は集会で、2008年度第2次補正予算案に盛り込まれた総額2兆円の定額給付金について「2兆円あれば、100万人の失業者に月17万円ずつ1年間支給しても賄える」と指摘。この後、記者団に「定額給付金補正予算案から切り離し、雇用・景気対策を急いで実現させるよう、通常国会麻生太郎首相に迫っていきたい」と語った。 

「雇用・住居確保」で決議案=通常国会冒頭に提出へ−野党5党 - 時事通信 2009/01/04 -

しかし、昨年9月の時点での完全失業者数は200万人超。ただばら撒くだけでは半数も救えない計算。
ちなみに住居確保は既に行われているので、むしろ民主党は現在の国政状態さえも理解していないと言うことを発露させてしまったとも言える。

Q43. 雇用促進住宅の入居要件と手続について教えてください。また、失業中でも入居できますか。


A. 雇用促進住宅は、雇用保険の雇用福祉事業費で整備された賃貸住宅で、全国に約1千5百か所、約14万戸あり、独立行政法人雇用・能力開発機構が設置し、財団法人雇用振興協会が管理しています。家賃は比較的低い額に抑えられており、勤労者の方々に貸与されています。

ハローワークインターネットサービス

これで与党が務まるのか、と言うのは非常に疑問を感じる。
またこれ以上の生活保護費の上昇はあまりにも危険が高い。

 年々増加を続ける生活保護の国庫負担金が、2009年度に初の2兆円台となる見通しとなった。厚生労働省は同年度当初予算案に前年度比4.7%増の2兆585億円を計上。当初予算ベースでは過去最高額だ。生活保護の受給世帯割合を示す「保護率」は、失業率と一定の相関関係があるとされ、雇用情勢がさらに悪化すれば給付額が当初予算を上回る可能性すらある。

 生活保護の受給世帯数は07年度で1カ月平均110万5275世帯と、前年度を3万世帯近く上回り過去最多を更新、その後も増加傾向にある。同省はこうした傾向や、直近の景気状況を加味して09年度は2兆円以上が必要になると推計した。

生活保護、過去最高に=国負担額、初の2兆円台か−厚労省 - 時事通信 2008/12/28 -

国の収入が50兆円を切っている昨今、2兆円超の生活保護費は異常ではないか。これに加えてさらに2兆円を失業者に給付するとなったら、数年のうちに国の歳入の1割が生活保護費に消えていくような状態になりかねない。それでは国が成り立たない。「生活に困ってる人に生活保護費を」と言うお題目は非常に人道的に思えて耳障りの良い言葉だが、過剰な保護は健全な労働者の労働意欲を削ることになりかねない。
生活保護費の支給期間に原則期限を設けるなど、「自立支援」と言う形での運用を目指さないとならぬはずだ。自民党の案を「ばら撒き」と評するのであれば、民主党の案は「無産階級の固定化」と評されるべきであろう。


職を求めに国会議事堂に向かう「派遣村」の集団。

1月5日、日比谷公園の「年越し派遣村」は撤収を終え、340人を超える人々が新たな施設に移動した。この間、入村者は約500名で、ボランティアは約 1700名に達した。全国から寄せられたカンパは2315万円だった。国会に向けたデモ出発集会で全国ユニオンの安部誠さんは「派遣村は、ささやかだが大きな成果を生んだ。我々と皆さんの活動によって、世の中は変えられるんだ、という希望を持つことができた。みんなが安心して働ける世の中をつくるために、これからも一緒にたたかっていこう」と熱く呼びかけた。国会に向かう長蛇のデモは、まさに「怒りの貧者の行進」そのものだった。
午後1時半からは、院内集会が開かれた。民主・社民・共産・国民新党新党大地の党首クラスが勢ぞろいし、問題解決にむけて強い決意が語られた。また、大村厚生労働副大臣自民党片山さつき議員も出席し、前向きの発言をした。派遣村の運動は、確実に日本の政治を動かし始めた。(M)

写真速報 : 世の中は変えられる!「派遣村」が国会へデモ

職を求めるならハローワークに行くべきだ。先述したように住居の斡旋もしてくれる。これでは下記のような発言をする方がいるのも当然である。

 坂本哲志総務大臣政務官は5日、総務省の仕事始め式で、仕事や住居を失った労働者らが宿泊していた日比谷公園(東京都千代田区)の「年越し派遣村」について、「本当にまじめに働こうとしている人たちが集まっているのかという気もした」と述べた。失業者を支援する市民団体などの反発を招きそうだ。
 同政務官派遣村の活動について、「40年前の学生紛争の時に『学内を開放しろ』『学長出てこい』(などと学生らが要求した)、そういう戦略のようなものが垣間見える気がした」とも述べた。

「本当に働こうという人か」=派遣村で発言−坂本総務大臣政務官 - 時事通信社 2009/01/05 -

言い過ぎか、と言えばそうでもなく、実際派遣村の方の行動予定に「求職活動」と言う文字は無く「デモ」がある。

6時50分 ボランティア集合
8時 朝食
9時半 村民大移動式
10時半 厚生労働省行動
12時 国会請願デモ
13時半 国会院内集会
14時半 バスに分乗して大移動

年越し派遣村 5日の予定

そして国会では下記のような活動をしている。

 民主、共産、社民、国民新、新党大地の野党各党は五日午後、「雇用と住まいを守る緊急集会」を国会内で開いた。政府側から大村秀章厚労副大臣が出席したほか、与野党の国会議員約九十人や「年越し派遣村」から七十人も参加した。

 民主党菅直人代表代行は「今回の問題は天災ではなくて人災。大きな責任は野党も含めた政治にある」と指摘。野党共同で提出予定の非正規労働者の雇用と住居の確保を求める国会決議案の発案者の鈴木宗男新党大地代表は「与党は(決議案を採択したければ)二次補正予算案に賛成しろという。雇用と宿泊の確保は取引の話ではない。今日を境に国民運動として頑張ろう」と訴えた。

 この後、民主党は党緊急雇用対策本部を開き、派遣労働者の中途解約を制限する法案の提出準備を進めるとともに、労働者派遣法改正案について野党間で再調整する方針を確認した。

国会で雇用対策集会 野党「派遣村」からも参加 - 東京新聞 2009/01/06 -

何のための集団だか推して知るべしと言ったところか。これでは世間の同情が集まるはずも無かろう。


心から求職している方が居ると言うのは知っている。そう言った方方の力になれるよう国が支援すると言う姿勢は非常に重要だとも思う。一刻も早く不況から脱出してくれるよう、政府には関連法案の早期制定を強く望みたい。
逆にそういった方方を現政権を揺さぶる手段として利用する連中は唾棄すべき存在であるとしか思えない。「労働者を救済する」事を旗に掲げつつも、今年も審議拒否を繰り返して政府の足を引っ張ることしかしないのかどうか、今後の態度を注意深く観察していきたい。

意図的な歪曲?

歪曲した事実で展開される論理で日本を卑下するのは、日本人として非常に辛い。
どのような点が歪曲されているのか、その点を挙げていく。


その前に先ず、以前の筆者の言を借りて2点指摘する。

 ちなみにイタリアの大学では、島津製作所の脳機能可視化技術など新しい科学技術を使って、伝統的な音楽の問題を調べる、私たちのグループの研究を非常に自然に受け入れてもらえます。


 日本ではこんなこと絶対にありません。音楽学関係者は非常に「文系」に偏りやすいか、あるいは若い人などテクノロジーの話題だけになってしまいやすく、また理工系の学者さんの多くは厳密な音楽の研究というものに、そもそも価値を見いだしてくれません。「その経済効果は?」なんて聞かれるのが、東大あたりでしかるべきポジションにいる人の反応です。

 こうした違いを痛感するにつけ、やはり日本は後発先進国なのだと思わないわけにはいきませんでした。

 ただ、正直に申しますが、今回は「ノーベル賞授賞式に間に合わせる」という方針になったため、海外出張にまたがって、かなりの強行軍になり、細部には校閲でスルーしてしまったミスが初版に残ってしまいました。


 私自身、生まれてこの方、最も速く1冊の本を書く経験になりましたが、校了後、自分で気づき、恥ずかしく思っております。厳しい読者には粗製濫造とのお叱りを受けそうで恐縮です。見つかりました誤りはウェブでも訂正し、重版で必ず直します。内容でお気づきの点がありました読者には是非、本コメント欄でもご指摘を頂戴できれば幸いです。


 ただし細部はさておき、書籍のアウトラインは、ここ10年来内外で関わってきた問題の太い骨格を明瞭に示すようにしています。

以前筆者は、田母神氏の発言を下記のように評している。

「論文」以前の「打ちっぱなしメモ」


(省略)


 田母神さんは防大で電気工学を専攻したそうですが、防大の電気電子の教官は、例えば実験レポートで無検証の印象を羅列したものに「可」以上の成績を出したのでしょうか? さらに、資料によれば田母神氏は「統合幕僚学校校長」も務めたといいます。そんな人物が


 「竹島も韓国の実行(ママ)支配が続いている」


 などと、誤変換そのまま、(言うまでもないですが「実効」支配)、ワープロ打ちっぱなしで、副官の査読などチェック機能の働いていない文書を出すのが、そもそも用心が足りません。


(省略)


 もし私の学生が「レポート」としてこういうものを出してきたら「これは大学以上のレベルでレポートとは言わない。<メモ>である。再提出」と差し戻すことにしています。


(省略)


 「文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。」(「日本は侵略国家であったのか」田母神俊雄 p.7)


 これでは、したたかなロジックの展開としては通用しません。もし誰かの「引用」として出典を明記すれば、まだなんとかなりますが、ここでは根拠なしに単に断言してしまっているので、もし交渉ごとなどで、その点を突かれれば、論破されて負けです。脇が甘いのです。きちんと添削的に指摘するならば


◎「戦争によって<のみ>」とあるが、本当に<のみ>であるか?


←<のみ>という表現は、一つでも反例を出されたら論拠が崩れてしまう。もっときちんとした推敲を勧める。


◎「強者が自ら譲歩することなどあり得ない」云々


←同様に「あり得ない」と言い切れば「ある」と反例を出された時点で負けてしまう

KY空幕長の国益空爆

つまり、「誤字・脱字がある文章は構成が甘く、レポートとは言わない」「根拠無しに『あり得ない』等と断言するのは脇が甘い文章である」と言う筆者自身の発言に照らし合わせて今回の文章を読むと、今回の文章や今後出版される書籍は、「論文」以前の「打ちっぱなしメモ」の類なのではないか。
以上の私の発言は批判と言えるレベルのものではなく、読んでいる方を不快にするだけの文章であることは承知している。が、そういう文章を筆者は田母神氏に対してしていたのだ、と言うことを分かっていただく為に敢えて重箱の隅をつつくような書き方をした。
日経BP onlineで発表されている、多くの方に読んでもらう前提で書いている文章であるならば、願わくば簡単な他人の悪口を書き連ねるような文章は控えていただければと思う。



気を取り直して、以下、内容についての批判を4点挙げる。


1.

 ノーベル平和賞では国際間のパワーバランスという「対称性」が最も重視されますし、文学賞でも欧州と米国、アジア・アフリカ・ラテンアメリカ諸国の文化的バランスに細心の注意が払われます。物理学など勉強していると、論理的に厳密であるのが良いように思い勝ちですが、現実の人間社会ではもっと大きな調和が決定的に重要な役割を果たします。

 湯川博士ノーベル賞は高い専門業績に対して与えられたものでもありますが、湯川博士ご自身がその社会的意味や科学者の責任を自覚され、パグウォッシュ会議などに奔走されたのも、地球と人類の存続のため「崩れたバランス」を回復するための献身でした。論理の上では「比喩」でしかありませんが、専門的見地という近視眼を超えた人間にとって重要な仕事を顕彰することに、ノーベル賞は大変意識的なのです。

 これがさらに「経済学賞」になると、一方で「経済の均衡」という数理モデルの対称性が重視されますが、他方「貧困撲滅と開発経済」などの観点では、文学賞や平和賞以上に「平等」あるいは「共生」のバランスも重視されます。ノーベル賞は一種の「均衡回復装置」失われたバランスを取り戻そうとする、国際社会の調停者の役割を果たそうとしています。その全体像を、大変に価値あるものとして、私は理解しています。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081208/179530/?P=2

と書いておきながら

 試みにノーベル自然系3賞の受賞者を年代別、国別に集計してみると、45年以後、米国科学者への授賞が急増して、冷戦後期以後は全体の6割を占めているのが分かります。といってもこれは「米国生まれの米国人」ばかりが優秀なのではなく、欧州も日本も含めて、世界の知性が米国で活躍の場を得ていることを示すものです。20世紀後半、米国は「世界の科学の器」として機能し始めます。またこうした人事の交流に、日本の大学・研究機関は大変に消極的であり続けます。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081208/179530/?P=5

と続けている。
これでは筆者がノーベル賞を「均衡回復装置」として見ているのか「高度な知性を持つことの証明」として見ているのか全く分からない。都合の良いようにその都度ノーベル賞と言うものを解釈し、一貫性が無い。以前の文章にも「語彙の一貫性が無い」と批判したが、言葉の定義に一貫性を持って語っていただけないと、読者としては筆者の言いたいことが分からず混乱するだけである。
一つの語彙でも複数の意味を持っているのは当然ではあるが、一つの文章中では意味を一貫させるべきであろう。複数の意味を使い分けながら論理展開をさせてしまうと、単なる言葉遊びに終ってしまう。


2.

 こうした「鎖国」体質とも言える日本の特徴には、明確な起源があります。日本の大学はそのスタート以来、世界的に見て特殊な成り立ちをしているのです。


 明治維新以来、日本での科学技術研究は、すべて「富国強兵・殖産興業」という国の大目的の下に統合されていました。


 戦前の日本国内には7つの「帝国大学」がありましたが、北大、阪大、名大は理科系学部しかなく、すべての大学は本質的に「軍事研究」を通じて、国に奉仕することが、唯一最大の目的でした。最近でこそ、特許などの「知的所有権」が幅広く問題にされるようになってきましたが、日本では旧来「先端技術開発の結果を個人で特許化する」ということは、それこそ非国民扱いされかねない「非常識」とされてきました。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081208/179530/?P=5

日本で特許法が制定されたのは日露戦争以降である。明治初期には個人で特許化する事が非常識なのではなく、そういう概念が無かっただけであろう。
また特許が発明された後は、筆者の書き方だと国が特許を持っているかのような書き方だが、特許を持っていたのは企業である。「軍事研究」と言っても別に国が特許を独占していたわけではなく、三菱等の大財閥が事業の一つとして軍事部門を持っていたに過ぎない。もちろん軍部が持つ特許も存在したであろうが、特許数全体から見ればそれほど大きな比率を占めていたとは思えない。
どちらにせよ特許が個人で持てなかったことには変わりないのだが、それは後述する3の批判と併せて考えていただきたい。


3.

 「公の予算」で研究させていただいている。そこで得た成果はすべてお上のために奉仕、奉公してこそ価値を認められる。そういう暗黙の了解です。一例を挙げましょう。ノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんが島津製作所社内で得た特許関連の手当ては1万1000円で、特許は社のものになりました。世界のほぼすべての国の科学者に理解不能なこの「日本人科学者特有の心性」の原点は、戦前以来の「軍事科学への貢献」を中心に発展してきた、日本の研究機関の体質にあるのです。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081208/179530/?P=5

田中氏が研究者として企業らスポンサードされて研究したと言うものであれば特許は個人のものになるべきであろうが、田中氏は島津製作所の社員であり、その就業時間中に特許が発明されたのであるから、作業の成果として会社が特許の権利を得るのは当然のことであろう。これは社会人の目から見れば常識と言える。
これは日本だけの話ではなく、自社の社員が就業時間中に与えた仕事の中で得た特許を個人の物にしている所が多いとは思えない。例えばマイクロソフトgoogleIBMと言った会社の特許が個人に帰属しているなどと言う話は聞いたことが無い。
単に田中氏と島津製作所の関係が雇用関係にあったからこその結果であって、「戦前以来の日本の研究機関の体質」等と判断するのは、事実を正確に捉えているとは言えない。


4.

 ここで「頭脳流出」という言葉の意味を改めて考えてみましょう。英語では「ブレイン・ドレイン」と言いますが、この言葉がとりわけ深刻な意味を持つのは世界各地の発展途上国においてです。旧植民地国では、出来の良い学生がきちんとした勉強をするためには旧宗主国に行かねばなりません。欧州などに留学して、そこで成果が上がると、欧米の研究機関に留まって母国に帰らなくなってしまいます。


 すると、人材は出てゆく一方で、旧植民地はいつまでたっても経済的にも知的にも貧しいままという現象が永続します。これが国際的な「ブレイン・ドレイン」の実情です。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081208/179530/?P=5

このような実情が有るのであれば、

 でも、ノーベル賞を10個も取った先進国で、主要大学の教授会メンバーが、ほとんど自国出身者だけというのは、極めて例外的です。こと学術に関する限り、日本という国には極めて強固に、鎖国的な「人事の非対称性」が存在しているわけです。日本は「鎖国病」に罹っている、と言ってよいでしょう。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081208/179530/?P=4

と言う筆者の意見はやはり誤りであろう。日本が鎖国しているのではなく、「旧植民地が無いので日本に流入してくる外国人が居ない」と言うことなのではないか。
国際的な公用語としては英語や仏語が有効であり、ネイティブに使える方も多ければ、学ぶ方方も日本語よりは圧倒的に多いであろう。そうして学んだ言語で自国以外の大学やら研究機関に進んだ結果、英語・仏語圏の大学に於いて教授会メンバーが多国籍になるのも当然であろう。つまり、門戸を開いて大大的に集めた結果と言うよりは、単にその言語を使う人が自国民だけではないという非常に単純な理由ではないか。



以上が筆者の文章に対する批判である。


日本の大学のあり方についてもっと考えていくべきだ、と言う点について異論は無い。
私としてはもっと産学連携を進め、企業の知財部門の一部をアウトソースするような関係を築くべきだと思っている。大学は生徒の授業料以外からの運営費を賄えることになり、運営費確保のためにと「定員を埋める為に質の低い学生を入れる」事や「反社会的行為を起こした学生を庇う」と言った必要が無くなり、大学のレベルが一定以上で保てるようになる、と言うメリットも出てくる。大学のレベルが保てれば研究の質を落とすことも無いだろう。
また官学連携とでも言うべきか、国費で「国立研究機関」と言うものを作るのではなく、大学の研究室にその役割を担ってもらうと言う方法もありだろう。こうすれば公務員の天下り先を増やさずに多くの研究をすることが出来るようになるはずだ。
こうして大学が研究機関としての意味合いを強めてくれば、偏差値によって進学先を決めるような今の状態ではなく、やりたいことによって進学先を決められるようにと、大学受験の意味合いが変化する。大学受験の意味合いが変化すれば自ずと高校のあり方も変わってくるだろうし、行く行くは義務教育のあり方を話し合う事にもなるだろう。


日本が直さなくてはならないのは鎖国病ではなく、大学受験の偏差値病だ。

田母神氏の発言は文民統制に抵触するのか?

なぜ文民統制は繁栄を導くのか?」について。


先ずは語彙の誤解を指摘する。

 私たちは「自由」や「民主主義」を、あまりに当たり前に考え、そのご利益を見失うことも珍しくありません。このコラムへの読者コメントにも「戦後民主主義思想」うんぬんという書き込みを頂きましたが、マンガか何かならともかく、自分の身代を含めて冷静に考える時、「自由」や「民主主義」の意味や価値を再確認する必要があると思います。そのためには、反対の意味を表す言葉、つまり「対概念」を考えると有効でしょう。


 「自由」の対概念は「規制」、「民主」の対概念は「独裁」、「文民統制」の対概念は「軍閥支配」として、以下考えてみます。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081117/177427/?P=2

「民主(制)」の対概念は「王(制)」、「文民統制」の対概念は「非文民統制」だろう。


「民主(制)」の対概念は「王(制)」である理由は非常に簡単である。「民主制独裁国家」と言うものが存在しているからである。
中国は民主制ではあるが中国共産党による独裁が行われている。歴史をさかのぼれば国家社会主義ドイツ労働者党(=ナチスドイツ)も民主制の中から生まれた独裁政治であったし、戦前の日本もその例外ではない(戦前の日本に関しては後の部分で指摘する)。つまり、民主政治であるからといって独裁にならないと言う甘い考えこそ、戦後民主主義思想の最たるものである。
民主主義国家は絶え間ない国民の努力によってのみ成立しうる国家である。つまり国民一人一人が民主主義国家の構成員としての自覚を持ち、明確な政治意識を持っていなければ成り立つはずの無い国家で、その為にも国民の大部分が確りとした教育を受けているのが前提になる。教育が重要である理由はそこにあり、これを誤った解釈によって実践する教師の少なくないことには危機感を覚える。
極端に言えば、ある民主主義国家の国民が戦争をしたがっていた場合、どれだけ国際社会が平和を望んでいようとも、それが国民の意思であれば、その国家は戦争を起こさなければならないのである。民主主義だからという理由だけでその利益を享受できるという考えは楽観的過ぎる。民主主義は国民一人一人に多大な責任と義務を押し付ける制度なのであることを、筆者には自覚して欲しい。
私の友人は「政治を意識しないで生活できるのが一番良い」と言っていたが、民主主義国家ではこの発言は許されない。まあ民主主義を放棄すると言う意思表示ができると言うのも民主主義の特長ではあるのだが…


また、ヨーロッパにはルクセンブルクリヒテンシュタインと言った絶対君主制を敷く国が少なからず存在するが、それら「民主化文民統制もされていない国国」が独裁国家として危険な存在として認識されているだろうか。それらの国国が経済成長を遂げていないと言えるだろうか。
民主制の素晴らしさを語るのは自由だが、的外れな民主制賛美は痛痛しいだけである。


文民統制」の対概念は「非文民統制」である理由も簡単だ。「軍閥支配」の意味するものは「独裁」であり、独裁の対概念は「文民統制」ではないからだ。
正直なところ、文民統制の対概念は思いつかない。そもそも文民統制というものが何なのかと言うのも非常に曖昧であり、各国がそれぞれの基準で文民統制というものを行っているからだ。例えば現在の日本に於いては自衛隊を除隊した者はその後一生武官であるが、アメリカでは退役後10年経てば文民扱いになるそうだ。また兵役の義務がある韓国などの国では国民全員が兵役経験者であり、日本的な文民統制の概念を持っては国を統治できない。スイスのように国民全員が兵士であるような場合も同様である。つまり、文民統制と言う言葉は非常に曖昧である
「最高司令官が民意によって選ばれる」と言う狭義の文民統制で言えば、各国とも文民統制が取れていると言えるだろうが、筆者の意図する文民統制はそれ以上の意味を含んだ非常に広義なものとして、都合よく解釈できるよう定義されている。
筆者はこの「文民統制」と言う言葉を、その後の文章だけではなく以前のエッセイについても同様に、様様な場面で使われる非常に万能な言葉として使っている。先ずは筆者の考える文民統制という言葉の意味をもう少し確りと定義して欲しい。前頁で文民統制の歴史を紐解いているだけに、現在の文民統制のあり方やその定義について確りとした解釈に踏み込んでいただけなかったのは残念だ。



次に歴史的事実の誤解を指摘する。

 …と、私の話はすぐ脱線すると読者からお叱りを受けるので、ここではこれ以上踏み込みませんが、19世紀半ば・文化文政期から明治維新を経て戦後の高度成長まで、経世済民を一貫した観点で見る時、「文民統制」の威力は改めて絶大と思います。2001年に産学連携の観点から東大史をコンパクトに編纂し直したことがあるのですが、17世紀前半、林羅山の家塾が幕府の昌平坂学問所となり、寛政の改革で作られた官学の骨格が現在の東大法学部まで受け継がれており(詳しくは『バカと東大は使いよう』をご参照ください)、統治の基本と社会・経済の成長の相関は明らかです。


 「将軍」の治世から「王政復古」による近代制度の導入で、日本は大きく社会と経済を成長させました。しかし大日本帝国憲法が曖昧にしていた「天皇による軍部統帥権の独立性」がネックとなって、1929年の世界恐慌以後、日本は軍部の独走を抑える「文民統制」が利かなくなりました。結果、満州事変以後の戦乱に突入、実体経済は崩壊状態に陥りました。日本がナニ国家だったか、といった解釈・評価の別によらず、経済諸指標は明確な事実を伝えます。最も切り詰めて言うなら、1930〜40年代、日本には国家経営に大きく失敗した時期が存在する。これは否定しようのない事実です。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081117/177427/?P=2

幕末から明治初期にかけては、筆者の言っていることと全く逆である。徳川幕府軍事独裁政権だったわけではなく、各藩との武力による均衡をもって治世していたに過ぎない。江戸時代の日本は統一国家と呼べるものではなく、各藩毎に政治体制が異なっていた。例えば藩内で飢饉が起きたとしても、隣の藩は知らぬ存ぜぬ、幕府が援助をするということも無く、藩の努力によってのみ藩政は保たれていたのだ。
そして幕府は藩に力をつけることをさせまいと、築城の制限や婚姻の制限などを設けて各藩を支配した。こうした国内の足の引っ張り合いを続けていては諸外国に蹂躙されると言う恐れから、日本は近代化、つまり軍国化していく必要があったのだ。明治維新によって薩摩藩長州藩重臣らが明治政府を作るが、その際に藩政は否定され、軍は政府によって統合される。持てる軍備は国内で争いあう為のものとしてではなく、外国との戦いに向けて準備されるものとなっていった。
この体制は文民統制とは全く異なる思想によって行われたものであり、日本の近代化と文民統制とは全く関係が無い。


もし1932年の五・十五事件を以って民主政治の終わりとするならば、1890年から40年近く続いた選挙制度の中で、国民が文民統制を望まなかったと言うことを意味するのではないか。それはつまり、日本の繁栄は文民統制によってもたらされたものではないと言う、国民の意思表示だったのではないか。
その後20年間の国策が「大きく失敗した」のは、文民統制が行われていなかったことと直結しない。民主主義国家に於いて国が戦争を行う場合、戦争を起こしたいと言う民意が無かったはずが無い。
日本は日清戦争(1894)によって多額の賠償金を得、日露戦争(1904)によって領土を拡大し、第一次世界大戦(1914)によって好景気と領土を手に入れてきた。そして戦争の起きていない1920年代には世界恐慌が発生し、1930年の昭和恐慌へと続いていく。そういった歴史の中で、1930年代の日本国民がどのような景気打開策を望んだのか…長きに渡る日中戦争を軍部の独断が責任とするか、民主主義国家においてそれを収束させなかった国民の責任とするか。筆者は前者を理由にしているが、私は後者が理由であると考える。
民主的な手続きを踏んで生まれたナチスは、文民統制がされているにもかかわらず「国家運営に大きく失敗した」と言う例を鑑みれば、筆者の関連付ける文民統制と経済成長との関連が直結しないと言うことも明らかだ。



続いて、現状認識の齟齬について指摘する。

 国際社会は、その国情が安定し、法治が行き届き、人々の経世済民=国民経済が順調な成長を遂げられると見なされる時、国を国と認めます。武力によって国内を抑えつける軍事独裁の状態は、国の経済が順調に発展するものと見なされません。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081117/177427/?P=2

では中国のような国に各国の投資が盛んなのは何故だろうか。中国国民党軍の政治部門である中国共産党による一党独裁、つまり軍事独裁の中国に世界の各国から投資が殺到し、長期の経済成長ができた例をどう説明するのか。
軍事的独裁状態が経済成長を促せないと言う考え方は非常に短絡的である。民主的な経済成長を遂げる前段階として、軍事政権下における経済基盤の確立(財閥の育成など)があり、政府の力が無くても経済成長が遂げられるまではそう言う状態で無いと国が成り立たないのだ。
原始時代に紙幣を流通させても意味が無いように、国家や経済の成長には踏むべき段階が存在するのだ。国際社会においては外国の力を借りて(若しくは強制的な介入によって)一足飛びに近代化を成し遂げる例は存在するが、そういった急激な社会変化がどういった結果をもたらすかは、中東各国とアメリカとの関係を見ていれば分かる筈である。
文民統制が取れていない=二等国」と言うような思考がいかに短絡的であり、「独裁国家民主化する」と言う名目での侵略行為に繋がるものであるということこそ、真剣に考えるべき問題ではないか。

 田母神氏の数ある発言の中で、もっとも注意しなければならないのは、諸外国から憲法を軽んじているように見える発言を議院内でしたことだと思います。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081117/177427/?P=3

 責任ある立場にあった自衛官が、公的な武力の職掌にありながら、国会の場で「言論の自由」を主張する時、国政に与るものは法に照らして適否を示すべきです。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081117/177427/?P=5

田母神氏は参考人招致された時点では退官しており、航空幕僚長の任からも解かれている。であればどのような発言をしようとも、それが文民統制を理由に問題にされるべきでは無いだろう。それとも自衛官は退官後も政治的な発言をしてはいけないと言うのであろうか。
民主主義国家に於いて、国民が政治に参加しないと言うのは不可能である。文民統制の名の下に田母神氏の発言を糾弾するのであれば、そもそも自衛隊員や元自衛隊員から政治的な意思表示をするための選挙権・被選挙権と言ったものを奪うべきだと言う話になりかねない。
また憲法は絶対的なものではない。その憲法について疑念を抱く人が衆議院の2/3の議席を占めれば改変できるものなのである。憲法が神聖不可侵なものであるという幻想は原理主義者的な発想であり、将来に対する成長にとっては足かせ以外の何物でもない。
戦前、日本が戦争の歴史へと足を踏み入てしまったのも、明治政府によって作られた憲法が50年間改正されずに続いてきた事とも無縁ではない。もし民主的な手続きを踏んで憲法を改正し、天皇統帥権を変更していたとしたら…憲法が常に正しいと言う誤った考えが戦争へと突き進んだ原因と何故解釈できないのか疑問である。

 およそ、国際的に「一等国」と看做される国では、先進国の武官は必ず憲法に絶対の忠誠を誓わなければなりません。憲法、つまり国権の最高法規に従わないということは、いつ軍事クーデターを起こしても不思議でないものと、国際社会からは見られかねないからです。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081117/177427/?P=3

確かに自衛隊憲法を、また法令に従わずに運用されるのだとしたら非常事態である。しかし田母神氏は「憲法を軽んじろ」と言っているのではない。「憲法が正しいのかもう一度考えるべきだ」と言っているに過ぎない。その言葉さえ危険視するのは言葉狩りの域であろう。

 官費で供される武力に預かる、責任ある立場の者が、自らの行動を何によって規制されるのか? 法治により憲法が国権をコントロールするのが普通の一等国であり、軍事力を背景に政府方針と違う「意見」を空砲のように乱発するのは、国のグレードを二等以下に落しかねない不用意な行動です。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081117/177427/?P=3

田母神氏の応募した懸賞論文が世間的にどの程度の影響力を持っていたものなのかは、正直分からない。マスコミが広めなければ懸賞論文自体が注目されること無く闇に消えて行く程度の、小さなコミュニティーに対する意見表明にしかならなかったのではないか。それを「空砲のように乱発する」と表現するのはいかがなものか。
本当に目に付く場所で問題発言をしていたのだとすれば、もっと以前から発表されていた論文から非難されるべきであり、ことここに至って過去を穿り返さねば出てこないような発言の数数を以って氏を糾弾するのは、非常に馬鹿馬鹿しいと言わざるを得ない。


また田母神氏の発言は「軍事力を背景に」していたかと言う点も疑問である。そうであれば非常に由由しき問題であるが、私にはそう解釈することはできなかった。

 私は田母神氏が軍事クーデターを起こそうと思っていたとは、露ほどにも考えていません。同時に、軍紀の根本に対する理解が甘く、また憲法が「武力」という国権を縛るものであることを理解せず、必ずしも力を持たない国民一般を守るための「言論の自由」などの権利を完全に誤解していることを、明確に指摘したいのです。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081117/177427/?P=3

言論の自由と行動の自由とは全く違う。己の政治信念によって自衛隊を私利私欲で動かしているのであれば問題だが、政治信念がどうであれ政府の意向に沿って軍隊を動かしている以上、問題視される謂れは無いはずだ。

 自衛隊の中には、旧帝国陸海軍以来の人的連続性があり、公式には言えないとしても「いまの憲法は…」といった議論がある可能性は十分に考えられるものでしょう。しかし、米国一国超大国による覇権の時代が終わりつつある今こそ、また憲法を本気で改正したい、などと思うのであれば、およそ「憲法一般」というものが、何であるのか、武官がきちんと認識する絶対的な必要性があります。


 武力を手にするおのれの「自由」の拡大、といった、国際社会で日本の信用ランクを急降下させるような短見は厳しく戒め、自衛隊員に(内容の如何以前に、まず)「憲法というものに武官が忠誠を誓う」ことが、法治国家の基本中の基本であることを、徹底再教育する必要があると思います。


 私が強調しているポイントをよく理解して頂けない読者もあり、迂遠な割りに筆力のない私の限界と反省しています。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081117/177427/?P=3

そもそも、自衛隊員だろうが何だろうが、国民は須らく憲法や法令を遵守することが当然である。
その上で、憲法や法令の問題点を考え、時代に沿った新しいものに作り変えていく義務があるのである。そういった義務を放棄した民主主義国家に将来は無い。筆者の発言は筆力云云の前に、的外れである。

 でも歴史を遡って一国の国際経済戦略を見ればどうでしょうか? そこには為替や金融に十分配慮する人々を、強権を持って軍事拡大を主張する人が敵視する明らかな傾向が見られます。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081117/177427/?P=3

軍事拡大は内需創出と言う側面を持っていることを見逃してはいけない。例えば戦艦一隻作る場合において、建造に必要な鉄鋼の量、それに伴う雇用の創出、艦隊勤務を行う軍人の確保など、経済的な観点から軍備を拡張すべきだと言う意見があってもおかしくは無いのだ。
また何故戦争をするかと言えば、戦争がしたいからと言うような短絡的なものではない。戦争をすることによって得られる利益があるからに他ならない。大東亜戦争に於いて日本がアジア諸国に進出したのも、欧米各国が抱え込む膨大なアジアの資源を確保する為であり、戦争によって得られる利益があった(若しくは戦争によって利益を失わずに済んだ)為であるし、アメリカが今尚中東に進出しているのも、国益の為である。
戦争狂による大量快楽殺人だったわけではない。


戦争は経済活動の一端として現れてくるものであり、経済と軍事は対立しているものではない。経済力に余裕が無ければ軍縮に向かい、経済力に余裕が出てくれば軍拡に進むのだ。アメリカが世界で一番の軍隊を維持できているのは、単に世界で一番の経済力を持っているからに他ならない。
ソビエト連邦が何故崩壊したのかを考えれば、経済力に見合わない軍備を整えることの愚かさが分かるはずだ。




「いかに効率的に戦争に勝つか」を考える軍人と「戦争後の政治・外交をどのようにすべきか」を考える政府とでは、常に問題が発生するものである。例えばダグラス・マッカーサーは、朝鮮戦争時に政府との対立から更迭されている。自軍の将兵の命を大事に考えれば、(戦果の面から見れば)非常に効果的な原子爆弾の使用を軍部が求めるのが当然であるが、その後の占領政策や国内の反発、諸外国との調和を考えた場合に於いては効果的ではないと政府が判断するのも当然である。
それを使用しなかった為に勝てなかったとしたら、敗戦の責任は国民一人一人が負うことになる。これが文民統制であり、民主主義というものである。
再度繰り返すが、「民主主義で文民統制されているから安心」なのではない。「民主主義で文民統制されているからこそ、国民一人一人が自覚を持って軍隊を考えなくてはならない」のである。我我は自分の国を自分達の意見によって決められる権利を得ると同時に、自分達で決めなくてはいけない義務を課せられているのである。政治に参加したくないのであれば君主制にするしかないのだ。
以前某氏が「日日政治のことを考えてうだうだ言うよりも、家の手伝いをしている方がはるかに現実に対して影響力がある」と言う話をしていた。その意見は非常に正しいと思う。日日政治のことを考えなくてはならない民主主義という国家体制は、多くの分野が専門化し先鋭化している近代国家に於いては、現実的な制度ではないのかもしれない。誰もが政治よりも自分の生活を第一に考えているのであり、生活の多くを仕事に費やさねばならない社会において、理想的な民主主義が実現できるはずも無いのだ。民主主義国家における政治家の腐敗は、即ち国民の怠慢にあると言うことをもっと自覚すべきである。


権利だけ主張する存在を「モンスター○○」と呼ぶ。「モンスター国民」にならないよう、我我はもっと政治について考えるべきでは無いだろうか。

ノーインテリジェンスなのはどちらだ?

KY空幕長の国益空爆」について。
筆者の発言は誇張、歪曲、無知、矛盾に満ちており、また批判はすれどもろくな代案を提示しない、「ノーインテリジェンスな書きなぐりのメモ」である。
その事を指摘したい。

1.誇張

 見出しでは「KY」などと軽い表現をとりましたが、この問題はサンフランシスコ講和条約以来の日米関係に影響を及ぼしかねない「国難」だったことを、どれほどの関係者が理解しているのか、疑われます。厳重な再発防止のためにも、今回の件、そしてそれが今現在も持っているリスクまで含め、細かに検討する必要があると思います。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081104/176177/?P=1

これ以降に続く文章では各国の反応を全く書いていない。
これでは本当に国難なのかと言うことが疑わしく、単なる誇張表現だと受け取られても仕方が無いだろう。筆者は以降の文章で「意見には論拠が必要である」と述べているのだから、少なくとも自分の意見には論拠を設けるべきである。

 指摘したい第二の「内容以前の問題」は、「論文」などと呼ばれている、このワープロ打ち9枚の文書の「脇の甘さ」です。


 一国の軍務のトップに立つ者が、仮に「個人的」といっても「研究」の「論文」のといって、こんな丸腰の文章に自分の名と役職を付して出している無防備さを指摘しなければなりません。


 田母神さんは防大で電気工学を専攻したそうですが、防大の電気電子の教官は、例えば実験レポートで無検証の印象を羅列したものに「可」以上の成績を出したのでしょうか? さらに、資料によれば田母神氏は「統合幕僚学校校長」も務めたといいます。そんな人物が


 「竹島も韓国の実行(ママ)支配が続いている」


 などと、誤変換そのまま、(言うまでもないですが「実効」支配)、ワープロ打ちっぱなしで、副官の査読などチェック機能の働いていない文書を出すのが、そもそも用心が足りません。


 「定年退職記者会見」では、問題以前のやり取りが見られました。報道陣でしょうか、「論文は本や雑誌の引用がほとんどで独自の研究とは言いがたい」と指摘するのがそもそも大間違いで、不用意な引用とは無関係に、文書の末尾にはいきなり、それまでの議論と無関係に「イイタイコト」が天下りで出てきます。論証の手続きが踏まれていませんが「独自の見解」ではあります。しかし「研究」ではありません。ただ「イイタイコト」を言っているだけで、そのまわりに直接は無関係なエピソードが並んでおり、論理的な整合性は認められません。


 もし私の学生が「レポート」としてこういうものを出してきたら「これは大学以上のレベルでレポートとは言わない。<メモ>である。再提出」と差し戻すことにしています。


 この「メモ」には、整理された引用出典や参考文献、論拠の一覧などがなく、章立ても整理もない、誤変換を含む文章がだらだらと続いているだけで、「論文」などと呼ぶことが、そもそも誤解を生みますから、以下では二重に括弧をつけて「<論文>」と書くことにしましょう。

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誤字・脱字によって文意が汲み取れないのであればまだしも、たった1文字の誤字で全ての文章を否定するのは、世の中に溢れる文章の大部分を否定するようなものである。
またこれは懸賞論文で文字制限があり、読者層もある程度想定しなければならないのであるから、大学生の書くレポートとは一線を画すと言うことを理解すべきである筈なのだが、筆者はそういう点には触れない。「論文と言うものはそういうものである」と規定するのは良いが、では筆者の文章もまた論拠の無い書きなぐりと批判されても仕方ない文章であろう。


そもそも筆者は「発言したこと自体が問題である」と言うのであるから、態態論文の内容を貶す必要は無かろう。それこそ「論理的な整合性なく末尾に突然出てきた『イイタイコト』の一部」でしかない。


2.歪曲

 田母神氏の第一の問題は、政府、防衛省の観点から見るとき、危機管理体制としての情報統制が全くとれていないことです。これをまず指摘しなければなりません。


 昨年の2月、私はNHKの「地球特派員」という番組の取材でアメリカ、ノースカロライナ州フォートブラッグ基地に体験入隊して、インタビューや訓練参加などしたのですが、そのときの軍人たちの、発言への気の張りようは大変なものでした。

 彼らの最高司令官は大統領である「ジョージ・ブッシュJr.」で、その施策へのあらゆる論評は「軍務規定違反」とされ、職位を失う理由とされてしまうからです。憲法の保障する個人の内心の自由とともに、軍人としての宣誓=契約と義務の履行への強い意識は、大変印象的でした。


 ところが今回の田母神氏のケースでは、空幕長という責任ある立場にある者が率先して防衛省の内規をおろそかにしており、しかもそのけじめ、歯止めが完全に不在、まったく無自覚であることを露呈しています。


 内規で、隊員が職務に関する意見をメディアなどで発表する際、必ず文書で上司に届けなければなりません。空幕長は官房長に連絡する必要がありましたが、田母神氏は「論文」を「職務に関係ない、個人的な研究内容」と強弁し、正式な文書報告を怠り、背広組には口頭連絡だけでお茶を濁して、かつての「来栖発言」以来の問題を起こしてしまいました。


 こういう状況を「軍紀の乱れ」と言います。命令系統を将官が率先して混乱させるという意味では戦前の関東軍が暴走するのと本質的に変わりがない、という事実を、もっとシリアスに認識すべきです。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081104/176177/?P=1

先ず、アメリカの軍務規定を用いて日本の自衛隊を断罪すると言うのは見当違いである。もし筆者が田母神市の発言を問題だとするのであれば、自衛隊関連の法案から田母神氏の発言が問題であることを示さねば成らない筈だ。それができないからと言って他国の軍務規定を用いての論理展開は荒唐無稽である。
また田母神氏は「正しい歴史認識を持つべき」と説いているだけで、自衛隊を批判しているわけではない。加えて過去の歴史的事実(と言われている事件)を否定している訳でも無く、発言の内容自体に問題があるとは到底思えない。


また仮に発言の内容が問題であるとしても、それは軍における命令系統の混乱を意味しない。個人がどういった見解を持っているかと言うことと、それが軍人としてあるまじき行為をすることなのかと言うことはまったく別である。
例えば連合艦隊司令長官山本五十六氏は日米開戦に反対していた。しかし開戦となった際に連合艦隊が軍規違反を犯しただろうか。命令に背いたと言う点では「外務省の命令に逆らい6000名ものユダヤ人を救った」杉原千畝氏のような存在こそ批判されてしかるべきである。

 ちなみにワシントン以来ジョージ・ブッシュJr.までの歴代の大統領は例外なく軍歴があります。しかしバラク・オバマ氏には軍歴がありません。日本ではあまり強調されていませんが、彼が当選すれば、単に「アフロ・アメリカンの大統領」というのみならず、米国史上初めて、本当の意味での「文民統制」つまり制服を経験していない三軍総司令官が誕生するわけです。これは米国にとってリンカーン以来、いやワシントン以来の革命的な出来事なのですが、そういうアメリカの選挙に合わせて「田母神空爆論文」問題が噴出してきたわけです。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081104/176177/?P=3

もしコレが正しいとするなら、兵役の有る韓国等の国では文民統制が成立していないと言うことになるし、人民解放軍が政権を持つ中国では文民統制の取れていない危険な国である、と言うことでも有る。そのような国が主張する「従軍慰安婦」問題や「南京大虐殺」問題が歴史的な事実であるかどうかも疑わしい。


 この「<論文>」は要するに、現役のドイツ空軍総司令官が「第2次世界大戦中、ナチスドイツはポーランドで酷いことをしたかもしれないが、よいこともしていたのだ。アウシュヴィッツもあったかもしれないが、経済が活性化した側面もある」と発言するのと同様の、国際政治上の意味を持ち得てしまうものです。もしこんな空軍総司令官がいたなら、ドイツはいったいどんなことになるか(そんなことはあり得ませんが)。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081104/176177/?P=4

「ありえない」と断定してしまうのは…と筆者の揚げ足を取るのはやめておく。


何故朝鮮や満州国の人口が増えたのか。今までの歴史の中で、政府が全く問題無く機能し、国民全員が幸せに暮らしていた国があったのだろうか。ドイツの占領政策と日本の占領政策との類似・相似点を検証した上で話を進めるなら良いが、そういうことを全くせずに同列に扱うのは非常に横暴である。
そもそも筆者は枢軸国側が何カ国あったのかと言うことを理解しているのであろうか。その国国が行ってきた占領政策が全て同じだったのか、そういうことを全く検証しない。筆者の言葉を借りるなら「論拠が無い意見」をいかにも尤もらしく語るのは、自らの言に照らし合わせて恥ずかしくないのだろうか。


3.無知

 例えばスウェーデン政府は「ノーベル平和賞」の胴元となることで、激動の20世紀100年間、武装中立国家として、ヒトラーナチスドイツ(ノルウェーまで進駐)、スターリンソ連(フィンランドまで進駐)双方の武力侵攻を政治的に防ぐ巧妙な外交戦略を成功させている。一つの反例で容易に崩れる断言口調では粘り強い交渉には耐えない。より強靭な論の建て直しを勧める。


 などと指摘しなければなりません。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081104/176177/?P=3

筆者の挙げるスウェーデンの例も、戦闘行為を避ける為に他国の力を用いているだけに過ぎず、強大な武力を持つ国家から身を守る手段はやはり武力なのであると言うことの一例に過ぎない。
そもそも田母神氏の指摘する戦争と言うものが単純な戦闘行為のみを指すのではないという基本的な事を筆者は全く分かっていない。それはクラウセヴィッツ戦争論を読めば分かる事である。


4.代案が無い

日米交渉を決定的に不利にした、このトンでもない決議の引き金を引いたのは、屋山太郎櫻井よしこ各氏らと国会議員44名の連名で出した「真実」と題する従軍慰安婦(性奴隷)強制否定の「全面広告」でした。


(略)


 この「国益自爆広告」には多数の国会議員も署名していましたが、主にリードしたのは評論家など民間サイドと考えられています。しかし、今回の田母神「<論文>」は、民間企業が準備したレールの上とはいえ、現役の航空自衛隊幕僚長たる重責の人物が、名と職位を添えて、日本語ならびに英語で、政府見解と真っ向から対立する内容を国際発信するという、過日の中山前国交相の自爆なみに、通常では考えにくいことが起きてしまっている。


 その影響の甚大さが事前に読めなかったとすれば、申し訳ないですが、まさに「空気読めない」KYとしか言い様がありません。現役武官が、しかも今のような国際情勢のタイミングでこんなことをすれば、国益を直撃することが、なぜ判らないのか。ただただ理解に苦しみます。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081104/176177/?P=4

「韓国が問題にしている従軍慰安婦問題は、歴史的事実と異なる」と言う意見を表明することが国益に繋がらないのだとしたら、一体何が国益に成ると言うのであろうか。では空気を読んで何もしなかったほうが良かったのか。それでアメリカにおける従軍慰安婦問題がどのように好転したと言うのか。
批判だけしてどうすればどうなったのかと言う点について触れていないその姿勢こそ「ノーインテリジェンス」ではないのか。井戸端会議や居酒屋の雑談と変わらない。


5.矛盾

防衛に責任を持つ人には、品格ある見識と、したたかな戦略をもってほしいと思います。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081104/176177/?P=5

「防衛に責任を持つ人」を田母神氏を指しているのだとしたら、大きな矛盾である。
何故なら、筆者の考える「文民統制」は「軍人は個人的見解を持つべきではなく、政府見解を持つべきである」と言うことなのだから、「品格有る見識」を持ってよいはずが無いからだ。
同様に「防衛に責任を持つ人」が「したたかな戦略をもって」しまっては、それこそ命令系統の混乱を招くと言うべきものであろう。


とは言え

下記の点は一理ある。

 ところが今回は当の軍人のトップが率先して、混乱した情報を発信するのは、ただただ国益棄損に直結していることに、むしろ軍人が敏感であるべきではないかと、思わず心配になってしまいました。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081104/176177/?P=2

混乱した情報かどうかは別として、組織の長がすべきことは組織の維持であって己の意見を表明することではない。その点に限り、田母神氏の発言は軽率であったと言わざるを得ない。あのような情報を発信することが自衛隊にとってどのような結果をもたらすのかと言うことを考えず、ただ己の信念に従って行動したのだとしたら、それは組織の長たる資格は無いと言われても仕方が無い。



他人の意見を「ノーインテリジェンスである」と批判するのであれば、少なくとも批判者はインテリジェンスな文章を書くべきであろう。
「他人の意見を否定することは他人の人格を否定することではない」と言うことは、大学でモノを教えている方であれば分かっている筈であるのに、最後に「田母神氏はいい人だと思うよ」等という変なフォローを入れるのは、自らの意見が批判ではなく悪口でしかないと言うことを感じているからであろう。
悪口は読んでいて気分が悪い。日経ビジネスオンラインと言うメディアで情報を配信する立場の筆者には、そういった情報を垂れ流すような姿勢を改めて欲しい。

身内の不幸などがあって身辺がばたばたし、それに伴って自らの生活環境が一変した事もあって3ヶ月以上放置をしてしまった。
今後はペースが遅くとも定期的に更新するよう心がけたい。


久しぶりに筆を執ったのは下記のエッセイがあまりにも酷かった為。

雇用と犯罪

国が再犯防止の為に就労支援をすることに。

 政府は、刑務所や少年院の出所者の就職を支援するための「就労支援推進協議会」を今年度中に全都道府県に設置する方針を固めた。


 刑務所などへの再入所者のうち、無職者の割合が7割以上を占めることが法務省の調査で浮かび上がっていることから、出所者が就職し、安定した生活を送ることが再犯防止の決め手だと判断、雇用対策に乗り出すことにした。


 刑務所への再入所者のうち、無職者が占める割合は1997年度は約62%だったが、2006年度は約72%と、増加傾向にある。


 今回の就職支援は、こうした傾向を受け、法務省厚生労働省が連携して取り組むものだ。法務省保護観察所や刑務所などの刑事施設、厚生労働省の労働局、それに都道府県、地元の経済界などが協議会のメンバーとなる。


 地元企業への呼びかけや、シンポジウム開催などにより、出所者の就職を受け入れる「協力雇用主」の企業の輪を広げることを目指す。


 法務省の調査によると、07年の協力雇用主の業種は、53・5%が建設業で、14・6%が製造業だった。また、06年に雇用された出所者のうち、臨時や日雇い労働者が70・2%を占めた。


 同省は、協力雇用主の業種に偏りがあり、景気に左右されやすい業種が多いことや、日雇い労働の比率が高いことなどが、出所者の生活の不安定さにつながっていると分析。各地の協議会は今後、出所者が幅広い業種でフルタイムで働けるよう地元企業に理解を求める活動を展開する方針だ。


 協議会は、全国に先駆けて今年5月に広島県に初めて設置された。協力雇用主の数は、5月時点の250社から、7月28日現在で295社に増え、順調なすべり出しだという。


 政府が再犯防止対策強化に乗り出すのは、犯罪件数の約6割が再犯者によるもので、治安の改善策の重要課題だとの認識が高まったためだ。

「生活の安定」で再犯防止、出所者の就労を国が支援(2008年7月28日12時50分)

雇用側としては「犯罪の6割は再犯」と言う事実を突きつけられた上で出所者を雇用すると言うのは経営上のリスクになってしまう恐れがあり、おいそれと受け入れることができないと言うのが正直なところではないか。とは言え「犯罪を犯した方が悪い」と切って捨ててしまうと、また刑務所暮らしに戻ろうと犯行をする人が出ないとも限らない。先日も留置所のほうが安定した生活が送れる、と犯行自白した人が居たが、こういう例を見ると入所中よりも出社後の社会のほうが厳しいのだと思う。

 5年前に自動車を盗んだとして、栃木県警下野署は20日、東京都板橋区生まれの住所不定、無職佐藤良和容疑者(37)を窃盗の疑いで逮捕した。


 調べでは、佐藤容疑者は03年5月3日、下野市柴の空き地に駐車していた近くの会社員所有のトラック1台(時価40万円)を盗んだ疑い。


 同署によると、佐藤容疑者は19日午後8時ごろ、同市内の公衆電話から「昔、車を盗んだ」と110番通報し、自首してきた。「金がなく、生活に困っていた。留置所の方が安定した生活ができると思った」と自首の理由を説明しているという。逮捕時、佐藤容疑者の所持金は数十円だったという。

所持金数十円「留置所の方が」 5年前の自動車盗を自首(2008年7月21日22時54分)

とは言え私は、出所後の面倒を見る必要は無いと思う。逆に「一度刑務所に入るとああいうことになる」と言う厳しい現実があった方が、犯罪の抑制にはなりえるのではないかと思うのだ。
ただその場合、過失と故意とで犯罪者を区別するという事が必要であると思う。車で人を撥ねて結果的に人を死なせてしまった人と相手の胸にナイフを突きたて故意に人を殺した人とは、明確に区別されなければならない。過失で過ちを犯す危険性は誰にでも在る。車を運転する事が好きな私はその危険性がより高いと言えるだろうが、逆に人を意図的に殺す可能性はほぼ0であろう。
設立される「就労支援推進協議会」の具体的な業務がどのようになるか分からないが、できれば犯罪者を一括りにして語るのではなく、どの様な犯罪の再犯率がどれくらいのものなのかと言うことを調べた上で、出所後の面倒をどの様に見ていくのかを考えて欲しい。受け入れ側の企業に「運転中の業務上過失致死傷罪の場合、再犯率は限りなく低い*1」と言うような統計情報を提示するなどし、抵抗感を減らすような努力をして欲しいと願う。


しかし、それよりも現在の労働環境をどうにかするほうが優先だ。先日も八王子で通り魔殺人が起きたばかりだ。凶器は当時買ったと言う包丁で、ナイフの所持規制が犯罪抑止に繋がる訳ではない事を表す例ともなった。

 22日午後9時40分ごろ、東京都八王子市明神町3の京王八王子駅ビル9階の書店「啓文堂八王子店」で、店内に入ってきた男がいきなり、刃物で女性2人を次々に刺した。


 警視庁八王子署によると、アルバイト店員の女性が左胸を一突きされ、病院に搬送されたが約1時間後に死亡、客の女性(21)も左胸や腕など3か所を切られて軽傷を負った。男はそのまま逃走したが、同署は約20分後、約300メートル離れたJR八王子駅北口付近の路上を歩いていた男の身柄を確保。事情を聞いたところ、「私が刺した」と認めたため、女性店員に対する殺人未遂容疑で緊急逮捕した。


 発表によると、男は自称同市川口町、会社員菅野昭一容疑者(33)。死亡した女性店員は、中央大3年の斎木愛(まな)さん(22)(八王子市)とみられる。


 菅野容疑者は、刺した2人とは面識がなく、調べに対し、「仕事がうまくいかず、両親に相談したが乗ってくれなかった。ムシャクシャして、とっさに無差別に人を殺したくなり、包丁を買って書店に向かった」と供述しているという。

八王子の駅ビルで通り魔、女性刺され死亡…容疑の男逮捕(2008年7月23日02時15分)

秋葉原の事件もやはり派遣労働者と言う生活の不安定さによって将来を悲観した結果であろう。

自民党平沢勝栄衆院議員らが2008年7月23日、インターネットカフェで匿名のままパソコンを利用することや深夜にネットカフェを利用することなどを法で規制しようと、有志による議員連盟を発足させた。

匿名でのパソコン利用が犯罪の温床になっているとの指摘を受けて、活動を始めることにしたという。今後、議連では、ネットカフェの利用状況を調べ、利用者の身分確認などをどのように行うかなどを検討するとしている。

ネットカフェ規制目指す 自民・平沢氏ら議連を発足(2008/07/24)

「何故ネカフェ難民が生まれるのか」と言う根本原因をどうにかしない限り、第二第三のネカフェができるだけである。外国人労働者を雇う前にこういった方方を低賃金でも良いから正社員として雇用し、長期にわたって生活の安定を図らせる事が良いのではないか。
ムラ社会の日本には欧米型の成果主義ではなく、年功序列制度が似合っているのではないか。成果主義の見直しは労働経済白書でも語られた

 厚生労働省は22日、2008年版の労働経済白書を発表した。バブル経済崩壊後、企業が導入した業績・成果主義的な賃金制度の弊害を指摘し、運用などの見直しを求めたほか、パートなどの非正規雇用の増加については、労働者の仕事に対する満足度を低下させるなど問題が多いと分析。多くの日本企業が実施し、業績回復に一役買った人事政策に、白書が疑問を投げかけた形だ。


 これまで政府が進めてきた労働法制の規制緩和の結果、非正規雇用の代表格の派遣労働者が増加しており、こうした政策の検証も求められる。


 白書は、企業が導入した業績・成果重視の賃金制度について、制度を望む社員の仕事への意欲を高めるものの、処遇や賃金に満足できない労働者も多く「必ずしも成功していない」と結論付けた。


 その上で、制度の適用範囲を見直し、労働意欲の向上につながる部門に限定して積極活用するほか、評価基準を明確化するなど制度の運用改善が必要と訴えた。

成果主義の運用見直し指摘 08年版労働経済白書(2008/07/22)

「業績回復に一役買った」と言う点を分かりやすく解説した台詞。

 つまり農業でいったら、次の収穫に絶対に必要な種籾まで食べちゃっているようなもの。少し考えたらわかるけれど、短時間で成績を上げることを求められたら、次の収穫などできやしない。そういう食い潰しの果てがいまの鬱や自殺の増加だよ。

失敗だらけの現代ニッポン、安全社会という落とし穴

文章の内容は成果主義に対する批判だが、上記の引用は非正規雇用を増やすなどした今の企業体質そのものを表す言葉である。今はまだ鬱や自殺程度で済んではいるが、より一層社会に対する不満が高まれば「どうせ死ぬなら」と無差別殺人の件数が多くなる恐れは非常に高い。
社会の安定のためには先ずは雇用を安定させねばならない。犯罪はそう言った失策の結果であることを政治家は真摯に捕らえなければならない。湧き上がった問題に対処療法を繰り返すだけでは根本的な治療は難しく、他の問題が発生し続けるだけだ。


貧困者に関してはもう女性とか男性とか言う次元の話ではいだろう。そんな事を調べるのは無駄金としか思えない。

 内閣府男女共同参画会議は26日、母子家庭の母親などの生活困難者に関する実態調査を行う方針を決めた。


 女性が生活困難に陥る背景のうち、性差に基づく要因を分析し、関係省庁の施策に反映させることを目指す。2009年夏までに調査結果をまとめる予定。


 調査は、同会議の監視・影響調査専門調査会が行う。〈1〉母子家庭の母親〈2〉収入が少ない非正規雇用者〈3〉ニート若年無業者)−−など、経済的な自立が難しい人たちを対象に、生活実態や背景などを調べる。雇用機会や待遇の厳しさ、子育てや介護による就業の中断など、女性特有の要因があるのかどうかを明らかにするのが目的だ。


 9月に有識者による検討会を設置し、婦人相談所や母子生活支援施設などの支援機関・団体に聞き取り調査をしたり、最近の統計結果などを分析したりする。

女性の生活困難、内閣府が実態調査へ(2008年7月27日)

*1:これは例であって事実かどうかは定かではない