戦争で得るものはない?

平和の種まこう」について。
先ず先に断っておくが、私は別に戦争がしたいわけではない。ただ、戦争によって得るものが何もないという考え方に疑問を呈しているに過ぎない。

 「I LOVE 9条 このみちをゆこうよ―澤地久枝講演会」が二十九日、大阪府堺市堺市民会館で開かれました。同実行委員会が主催し、会場いっぱいの千二百人以上が参加しました。


 澤地さんは「今、世直しの時」と題して講演。


 作家としてアメリカなどで戦死者の遺族を取材した経験を語りながら、「戦争で得るものは何もありません。いま、日本人がアメリカ兵のかわりに戦死する一歩手前まできています。もう一歩もゆずれません。自分の利益のためではなく、世界の未来のために、ご一緒に平和の種をまく人になりましょう」と力強く呼びかけました。


 第一部では、混声合唱で「このみちをゆこうよ」(詩・金子みすゞ、曲・石若雅弥)、「君死にたまふことなかれ」(詩・与謝野晶子、曲・石若雅弥)などが披露されました。

尖閣諸島の領有権等を巡り、日本と中国との関係が緊迫している。チベット弾圧については口数が少ないが、EUの要求が表明されたり、ダライ・ラマ法王の訪日の可能性があったりと、今後発言の機会も増えるだろう。

 ロイター通信によれば、声明は「EUは、弾圧に終止符を打つよう(中国政府に)求めるとともに、国際基準に従って(チベット人の)逮捕者を慎重に取り扱うよう要求する」と強調。チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世への言及を避けた上で、「EUは(中国とダライ・ラマの)対話開始に協力する用意がある」と呼び掛けた。


 会合での討議では、2012年の五輪開催国である英国のほか、スウェーデンポルトガルが開会式への参加を明言。これに対し、ドイツやチェコポーランドエストニアスロバキアの5カ国が首脳の欠席を表明し、アイルランド外相も不参加を示唆するなど、対応が割れた。このため、EUとして統一見解を打ち出すのは避けた。


 ただ、中国への反発は、五輪開会式の不参加問題のみならず、経済分野にまで及んでおり、フェレロワルトナー欧州委員は30日発売予定のドイツ週刊紙に対し、「中国を拠点に活動する外国企業はビジネスを早急には中止できないだろうが、チベットがこうした状況下にあるときに、企業は重い責任を持つ」と語り、弾圧が続くならば企業の活動を自粛するよう求めた。

http://sankei.jp.msn.com/world/china/080329/chn0803292327010-n1.htm

中国外務省の姜瑜副報道局長は1日の記者会見で、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世が訪米の乗り継ぎで10日に日本に立ち寄る計画について「いかなる名目や身分でも、ダライ・ラマが外国に行き、祖国分裂活動に携わることに一貫して反対する」と述べた。


 同時に「いかなる国家の政府当局者もダライ・ラマの分裂活動を容認し支持することに反対する」と語り、日本政府にダライ・ラマ14世接触しないよう求めた。

http://www.nikkei.co.jp/kaigai/asia/20080401D2M0102S01.html

さて、澤地女史がどのような意図で「戦争で得るものは何もありません」と言ったのか推測するのは難しい。女史が幼年期を過ごした満州と言う国は日本が戦争によって独立させた国であり、女史の父がそこで仕事をしていたと言うことは、女史自身が戦争による恩恵を受けていたと言うことさえできるからだ。
日本の時代誌(25)大日本帝国の崩壊によれば、1929年に始まった世界恐慌によって日本は深刻な不況に見舞われており、当時の主要新聞各社は、「不況を脱却するには戦争しかない」と言う論調を繰り広げていたらしい。それまで日本が経験した戦争と言えば、1894年に日清戦争(賠償金と領土を獲得)、1904年に日露戦争(領土を獲得)、1914年に第一次世界大戦(戦争特需に加え領土を獲得)、とまあ、戦争するほど領土は大きくなり、経済が発展して行ったと言う事実がある。当時の人にとって戦争とは「富をもたらす」ものであったのだ。


1920年には戦争不況が始まり、1923年には関東大震災も起きる。1924年にはアメリカで排日移民法(=移民法の改正)が施行され、1927年には昭和金融恐慌が発生する。そして1929年の世界恐慌に突入し、日本の経済はかなり困窮していた。
その間、1922年に共産党が結成され、1925年には中選挙区制と男子普通選挙が実施された。先に述べた不況下にも関わらず、1927年の総選挙では共産党議員は1人しか当選しなかった(治安維持法も「私有財産制度」の否定はしていない)し、「ソヴィエトは世界恐慌の影響を受けなかった」と言うことが分かっても尚、以後の選挙で共産思想が戦前日本で日の目を見ることは無かった。
国民の大部分が「好景気になるには戦争が必要」と考えていたことが伺える例でもあろう。結局中選挙区制にも関わらず政友会と民政党の二大政党制になってしまい、これが1940年に大政翼賛会へと至る流れになるのだが、それはもう少し後の話。


経済の立て直しを図る日本は1932年に満州国を建国する。これによって多くの日本人が職を求めて移住した。満州鉄道は整備され、1934年には満鉄あじあ号が走り出す

日本の南満州鉄道(満鉄)が誇った特急あじあ号蒸気機関車「パシナ」751号機の一般公開が宙に浮いている。同機を保有する中国遼寧省瀋陽市の蒸気機関車博物館の開館許可が下りないためだ。昨春公開のはずだっただけに、日中の鉄道ファンら関係者から残念がる声が出ている。


(略)


 展示の目玉は、戦前、大連―ハルビン間の約940キロを走った満鉄あじあ号の「パシナ」。12両が製造され、現存が確認されているのは751号機を含む2両だけだ。


(略)


 あじあ号は、満鉄が1934年に当時の日本の最先端技術を使って「満州国」で走らせた特急列車。751号機は鮮やかな青色と特徴的な流線形の車体で知られる。

列強各国が他の経済ブロックを排斥するブロック経済によって経済の立て直しを図る中、領土の少ない日本にとって自らの経済ブロックを拡張することは必須だった。では領土を得るにはどうしたらよいか?その答えが関東軍*1による1931年の満州事変であり、その結果としての満州国建国だった。もちろん満州事変は関東軍の独断によるものであって日本政府の方針ではなかったが、上記のような世情を反映して国民が自体の拡大路線を強く後押しした為に、政府もその方向で動かざるを得なかった。
この時の快感がその後1937年の盧溝橋事変に始まる日中戦争へ踏み出す切欠にもなったのだろう。勝海舟は氷川清話にて中国(当時は清国)を分析し、「中国を占領することはできない」と発言しているが、奇しくも分析に従ってその通りになってしまった。晩年に於いてでさえ日清戦争の勝利によって判断を誤る事は無かったのは、さすが明治の元勲といったところか。


そうやって1894年から戦争で得てきた領土の全ては、1945年の敗戦によって全て失うことになった。
現代においてこの結果だけ見れば「戦争で得るものは何もありません」と言うことができるが、その時代に生きてきた人にとっては「戦争は富を得る手段であった」と判断できるものだったということを忘れてはいけない。
後の時代の人が前の時代の人の行為を愚かであったと判断することは、1度読んだ小説を読み返してみて、登場人物の行動にいちいち突っ込みを入れるような行為である。結末が分かっていれば回避する手段は思い浮かぶだろうが、結末が分からない当事者にとってはそれが最善の策だったのである。
今の日本の社会を80年後の日本人がどう思うかは分からない。もしかしたら来年にでも日本は「9条を守って軍備を持っていなかった」事で他国の侵略を受け、その後100年に及ぶ圧制時代を迎えるかもしれない。そして150年後、「200年前の日本が平和憲法を標榜して軍備を整備しなかったのが問題だ」と言われているかもしれない。この例えを鼻で笑える人が居るだろうか。


と、過去の戦争を例に出して戦争の価値を述べてきたが、今の世の中に即している考えではないのは事実である。しかし、今でもなお戦争によって得るものがあり、「戦争で得るものは何もありません」とするのは馬鹿げている。得るものがないなら未だに各国が戦争を続けている理由は何だと言うのだろうか。少なくとも戦争をしている国には戦う理由があり、得るものがあるのだ。それを理解しない限り、戦争と言う手段を用いずに他国との調和を図る事ができる筈がない。
尖閣諸島の領有権を認めない中国に「戦争で得るものは〜」等と言って、黙って資源を奪われ続けるのが国民の利益になるのだろうか。例えばその資源を使えば国民一人当たりの生活費が年間で数万円下がるとしても、それでも「得るものがない」とし、武力を放棄して強盗の言いなりになり続けろと言うのだろうか?
それよりも軍備を整備し、やられたらやり返せるように法整備をした上で、諸問題を武力ではなく外交によって解決すべきではないか。理不尽な暴力に対し微笑で対応し、資産を奪われようが愛するものを殺されようが、それらを黙って耐えることができるのか。その状態が今のチベットではないのか。
一方的に侵略され、

独立国家であったチベットは、1949年に口火を切った中国の侵略で、戦闘によって人命損失の危機にさらされ、続いてすぐに、共産主義イデオロギー文化大革命(1967- 1976)に代表されるような計画によって、普遍的な自由さえも失ってしまった。

http://www.tibethouse.jp/situation/index.html

資産は奪われ、

硼砂(ほうしゃ)・クロム・塩・銅・石炭・金・ウランなどの採掘は、産業発達のための原鉱石として、積極的に開発されている。中国の15の主要な鉱物資源のうちの7つは、10年以内に枯渇すると予測されており、その結果として、チベットでの鉱物資源の採掘が、急速かつ無制限に増大している。

汚物を撒かれ、

現在、中国はチベットを自国や他国の核廃棄物の投棄場として使用しているようである。1984年、中国核燃料総公司は、西側国の核廃棄物施設に1kgあたり1500米ドルで提供した。

ろくな教育も受けられず

中国人と共産主義イデオロギーによってコントロールされている、チベットの教育システムは、中国人移住者と妥協したチベット人達によって管理されている。チベット人学生は、法外で差別的な授業料を支払い、辺鄙な地域の設備の整っていない施設に追いやられている。

子供を設けることもできず、

チベット人女性は、不妊手術・避妊・中絶手続きを強要する対象にされている。

どんどん数を減らしている。

近年、継続する中国人のチベットへの人口移入によって、チベット人が自らの地で少数派になっているという現象がおきている。現在、チベットでは、チベット人600万人に対し、中国人は750万人で、中国人人口の方が勝っている。

こういった現状を踏まえた上でも、女史らは「戦争で得るものはない」と軍備を放棄すべきだと言うのだろうか。平和主義を標榜する方方は、軍備を放棄することが平和をもたらすと言うのだろうか。


戦争によって得るものは本当にないのか。
その点について再考する切欠になれば幸いだ。

*1:ちなみに関東軍とは「日本の関東出身者」で構成される舞台ではなく「遼東半島(=関東州)に駐在する部隊」の事で、本本はロシアからの租借地である遼東半島の守備部隊であった。