コメントに対する返事


コメントに対する返事 - 世迷言、なれど本人至って真面目」にお返事を頂いたので返答を。
コメント欄でもはてなダイアリー書式で書けるのであれば楽なのですが、今のところできないようなので日記にて返答。こちらのほうがリンクも張りやすいし、あとあと見直しが楽なので。


私も経済に聡い訳では無いので確証を持ってお話しすることはできませんが、別に衆愚になったから株の意味合いが変わってきたのではないと思います。単に外資が入って来やすくなった為に競争が激化し、今まで暗黙のルールや企業イメージを悪くしないようにとブレーキがかかっていた部分に対を積極的に行う方方が増え、「やったもの勝ち」の状態になってしまったのが問題ではないかと思います。
また競争相手が国内企業ではなく国外企業も含まれるようになり、また株も国外からの購入が安易になったおかげで、株主が日本人だけではなくなり、それまでの企業倫理が通用しなくなったと言うのも理由でしょう。
このように、金融緩和によって閉鎖的な日本経済に新しい風が吹き込んだことは事実ですが、その穴からボロボロと崩れ落ちて行っている物があるのもまた事実だと思います。そういった変化の中で、企業はそれまで以上に労働者からの搾取をしないと生き残れなくなったのでは無いでしょうか。


また女性の社会進出が目覚しくなりました。そのこと自体は良いのでしょうが、これは逆に企業が従業員の家族に対して面倒を見ずに良くするための方便となっているように思います。「女性は社会的地位が低く働くのに向かない」とし、労働力として男のみが使役される社会であったなら、企業は労働者の家族と言うものまで面倒を見なければならなかったでしょう。しかし今ではこのような事を言うと「女性差別だ」と言われる世の中です。
結局、足りない労働力や安価な労働力を求め、「男女平等」等と訴えて女性を社会に引きずり出し、搾取の対称にしているだけでは無いかと私は思います。子供を産む事のできる女性が産まずに済む男性と同じ職場で同じように働くことはできません。性差による向き不向きもある筈なのに、男女雇用機会均等法を初めとする各種の法律が性差による適正を認めようとはしません。


以前のエントリにも書きましたが、家族に提供される各種サービスは、本来大家族でいれば家族内で保管できたものが多く、核家族が主体の現在は非常に無駄な状態になっていると言えます。つまり我我は、今まで手に入れてきた当たり前のものを手放し、手放したものと同じようなものを手に入れるために、より一層働かなくてはならなくなった訳です。
1人暮らしよりも2人暮らしの方が生活費が安いのと同じように、4人よりも6人、8人で居るほうが都合がコストが安いわけです。
例えば子供2人、両親、祖父母の6人家族の場合、祖父母が年金受給者であれば片親が働くだけで3人分の年収があります。水道光熱費関係は1契約なので安く済みますし、家電や車なども1家分で済むでしょう。それだけで生活費はグっと減ります。そうやって常に家に一人居られるような状態が保たれれば各種の防犯設備も要らないでしょう。また核家族よりも大家族の方が児童虐待が少ないと言う統計もあり、子供の育成にも良い影響が期待できそうですし、ご近所付き合いもし易くなるとすれば地域の防犯にも役立ちそうです。
ですが今は、核家族化して祖父母と別居するのが普通となり、必要最低限の生活費が2家分に膨れ上がっただけではなく、防犯や育児といったサービスもお金を払って手に入れなくてはならなくなりました。片親だけの収入で家計が成り立つわけが無く、当然のように両親が共働きしなくてはならなくなります。
両親が働けば名目的な家計収入があると言えるでしょうが、年収の高さが豊かな生活に直結して考えられるかは微妙です。


と家族論に話がずれてしまいましたが、詳しいことは以前のエントリ「家族解体はメリットなのか?」を参照してください。


話を戻します。上記のように、今は誰もが働かないと食べていけないからこそ、企業が搾取しやすい状況になっていると言えるでしょう。だからこそ「嫌なら辞めれば?」は非常に大きな力を持ってしまいます。
生活スタイル自体は一昔前の貴族かもしれませんが、働き続けなければ死ぬと言うのは奴隷の生き方ではないですか。それも自分のペースでならともかく、他人から決められた仕事を延延とし続けるのではなお更です。


また私は財界に人が無いとは言っていません。しかし、そう言う例を出すとするなら、今の政治家の方方にも人は居るでしょう。ただ自らが政治家を続けて理想を追求しようとした場合、ある程度党の方針に追従せざるを得ないだけかもしれません。結局政治家や財界人に限らず、どのような優秀な志を持った方であっても、己の我を通す為に和を重んじなくてはいけない場面があり、現在誤った(と思っている)舵取りをしている方方がそう言う場で力を持っているのが問題なだけではないかと。
つまり、以前のご指摘の通り「政治家=悪人」と言うのは余りにも短絡的な悪しき世論ではないかと。同様に「経営者>政治家」と言う考えについても同じ事が言えるのでは無いでしょうか。


「国民の自立を妨害するようなセイフティーネットは亡国の法」と言う意見には賛成です。先日もこのようなニュースがありました。

 貧困問題研究の第一人者、金澤誠一・佛教大社会学部教授は、健康で文化的な生活の基準として▽人前に出て恥をかかないでいられるか▽社会生活に参加しているか−−などを列挙。府民約500人に対する調査で、そうした生活には、現行の生活保護基準(約12万円)を上回る月約15万円(府内の若年単身1人世帯)が必要で、税金や保険料を含めると19万8000円になると算定した。

そこにある憲法:/8 縮小する生活保護費 /京都

現在の生活保護費は、都の最低賃金(2008/5/15現在、739円)で1日8時間、20日労働する賃金(12万円弱)よりも高い訳です。生活保護費が最低賃金よりも高いと言うのは去年もニュースにもなっていましたね。

 最低賃金は、原則として、正社員、パートなどの雇用形態や、国籍、従業員規模を問わず、使用者が最低支払わなければいけない賃金(時給)のことです。その額は、各都道府県にある「公・労・使」の3者で構成する審議会が、物価など地域の経済指標を参考に決めています。


 現在、全国の平均額は673円。フランスの1208円、イギリスの1146円などと比べて、先進国で最低水準にあります。


 課題として指摘されているのが、地域別の最低賃金生活保護費を下回るケースがあることです。県庁所在地で働く労働者を比較した場合、例えば北海道では、最低賃金で1か月(1日8時間で22日間労働)働いた時の社会保険料などを差し引いた手取りは約9万8000円。一方、生活保護費は約11万8000円(12〜19歳単身者)(数値はいずれも2005年度)で、最低賃金が約2万円、下回っています。


 また、最低賃金の額は各都道府県で開きがあり、地域間格差といった課題も指摘されています。


 これらの問題を放置すれば、勤労意欲を失わせ、社会全体のモラルを低下させかねません。


 政府は最低賃金法を改正する方針です。具体的には、額を決める際、生活保護水準との整合性も考慮するよう求めることにしています。ただし、法案では、最低賃金の方を高くするよう義務づけてはいません。法改正とは別に、厚生労働省最低賃金を大幅に引き上げる意向を示しています。しかし、経営への影響を理由に、中小企業が「これ以上の引き上げは無理」と抵抗することは必至です。そもそも、最低賃金は「5円の引き上げでも困難」といわれ、06年で引き上げ額が最も高かったのは愛知県の6円で、多くは2、3円の引き上げにとどまっています。

最低賃金の見直し…生活保護費下回り 勤労意欲そぐ恐れ

最低賃金の改正と共に生活保護費の改正すべきだと思います。不正受給も問題になりましたし、10年以上の受給者が2割を超えるなど、生活保護費が食い物にされてしまっている現状は改められるべきだと思います。

 生活保護世帯の受給期間は、「10年以上」25・5%、「5年〜10年未満」22・9%となり、5年以上の長期間にわたって受給を受けている世帯が全体のほぼ半分を占めていた。

生活保護世帯、初の100万突破―「読売新聞」


200歳については、多分現在歩んでいる人生が違うんだろうなと思います。人が生まれ持った素質はそれぞれ大きく異なっていて、今の世の中でその素質が必要とされていないものの場合、生き続けるのは単なる苦痛でしかない場合があります。
己の寿命に対して己が決定権を持つと言うことが尊重され、安楽死による自殺の道が容認されるのであれば、200年だろうが1000年だろうが生きたい人は生きれば良いと思います
それに200歳まで生きられると言うことは、200年生きる方方にとって住み易い制度が整えられるだけで、その後に生まれてくる方方に多くの負担を押し付けるだけのように思います。無限の寿命があったとしてもそれは覆らないでしょう。自らが特権を得た場合に、それまでの自分の苦労を省みて後進の苦労を取り除く、と言うことは余り考えられないのが常ですし。
加えて、長寿だから安定するのではなく、短命だからこそ安定すると言いたかったのです。1人の権力者が長期にわたって存在するのは、混乱期ならまだしも安定期には組織を腐らせる要因にもなりえるでしょう。例えば東郷平八郎氏は日露戦争時は優れた司令官ではあったものの、晩年は老害の誹りを免れない存在だったようです。ワンマン社長による長期経営が会社を危うくするという例もありますしね。


国とは結局国民そのものなんですが、それを意識せずに国に敵害意識を持って対立ばかりしていても仕方が無いはずなんですけどね。間違ってると思うなら直せば良いはずなんですが…国民が「政治家の腐敗が自らに起因する」と言うことを理解していないのだとしたら、そう言う言葉は余り使いたくないのですが、衆愚化はかなり進行していると言えますね。


ちなみに私は、以前「戦車が格好良い」と言っただけで右認定されました。左の方方にとっては左じゃなければ全部右のようで辟易します。