一般的な教養レベルかどうかは分かりませんが

先日、都内の大学生の方と折衝する機会がありました。その際、
私「こちらもこれだけ譲歩しているのですから、そちらにも有る程度譲歩していただきたいのですが…」
相手「譲歩って何ですか?」
と言うやり取りがありました。
私はてっきり「この話し合いに於いて私(=相手)は全く譲る気はありません」と言う意味に捉えてしまったのですが、話を聞いてみると言葉通り、譲歩という言葉の意味が分からなかった、という事のようでした。
大学全入時代の到来が一番怖い、と以前ワタミの社長が仰っていました.

 けれども、ちょっと待ってください。少子化が進むいま、実は学校教育の現場で問題になっているのは、むしろ大学に「全員が入れてしまう」、いわゆる大学全入時代に突入しようという事態のほうなのです。すなわち、バウチャー制度導入による競争の激化を心配する以前に、そもそも大学受験で競争がなくなってしまうおそれがあるのです。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20070703/128975/?P=2

(その大学生の方には失礼ですが)既にその兆候は有るのかもしれないな、と思ってしまいました。


関連して、と言う訳では無いのですが「http://www.asahi.com/national/update/1025/TKY200710250419.html?ref=goo」について、本人だけではなく周囲もその行為がどれだけ危険な事なのか、という事を認識していなかったのは驚きでした。ビニール袋を頭にかぶってはいけない、と言われなければ気付かないものでしょうか…
とは言え、これは子供が云云と言う話ではないのかもしれません。自分の行動について自己責任を負うのではなく他者責任を問うという現在の社会風潮によるものが大きいとは思います。例えば公園で怪我をしたら市に賠償を求めたりするのと同じではないでしょうか。


生きていく上でリスクはつき物であり、そのリスクを如何に回避して生活をしていくかが生活の知恵ではないでしょうか。誰もが好き勝手な生活をしておいて自分では何のリスクを負おうともしないような生活をしてしまえば、社会は成り立ちません。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20071023/138300/」では誰かに責任を押し付けるような現状を「管理社会」と言う名で話していると解釈しました。

糸井 回りくどくなるけど、いいですか? 昔々『日本国憲法』(※)という本を作った、島本修二さんという編集者が小学館にいて、当時、彼から聞いた笑い話があります。


 島本さんは、会社に、自転車で通勤していた。ところがそれを見てた人がいたんですね。で、この人があるとき廊下でまじめな顔で話しかけてきた。
「あの、自転車通勤は許可されているんでしょうか?」
 このときは二人で大笑いしたんだけど……。
 でも今、ぼくが、もしその話を島本さんにされたら、やっぱりその人みたいに「自転車通勤って、小学館的にはどうなの」って聞き返すと思うんですよね。


―― 当時笑えたのは「いやしくも『公』たる会社が、通勤手段ごとき『私』のことなんか、かまう必要はないじゃないか」と、みんななんとなく思っていたから、ですよね。


糸井 そう。それが今だと、自転車で通勤しているやつが事故を起こした場合、労災がおりるかどうか、とか。「自転車の置き場が会社にないから、自転車通勤の野放しは放置自転車を会社が許したということになりますよね」とか。
そんなつまらないことを、俺らがつい考えついちゃう。それ自体が……。


―― すでに管理社会。全身どっぷり。


糸井 そのとおりです。島本さんとぼくが矢沢永吉の『成りあがり』とかを作っていた70年代80年代は、まだ「自転車通勤は会社的にはいかがなものか」とわざわざ言ってくる人の存在自体が、笑い話だったのに。今やそういう人はあっちにもこっちにもいて、人さし指で、いちいち指さし点呼して「管理」してる、お互いに。


私達は今一度、「自己責任」と言う言葉の大切さを考えるべきではないでしょうか。


そしてそのためにも「http://www.asahi.com/national/update/1024/SEB200710240004.html」にあるような

 調査は青少年の行動や子育てに関する意識などを探るため、76年から5年に1回実施。昨年10〜11月に福岡市内の2300世帯(3500人)にアンケート用紙を渡し、1年がかりで分析した。有効回答を寄せたのは2897人で、子どもらのほか、小学生高学年〜高校生の父親が367人、母親が573人だった。


 「子どものすることに口を出さない」と答えたのは中学生の父親で37%、高校生の父親で41%。「子どものしつけや教育に自信が持てない」と感じている父親は01年調査の9.3%から9.9%に増えた。


 「しつけやどのような生き方をしたらよいか」の指導を学校に求める父母も22.6%から32.4%に急増。市は調査報告書の中で「家庭の教育力の大切さが叫ばれる今日、学校への依存傾向が強まっているのは裏腹」と指摘した。


 父親全体の30.5%は「子どもが母親とは話すが自分とはあまり話さない」と感じ、9.3%は「子どものことをわかっていない」と認めた。市こども未来局の担当者は、子どもとの会話が少なく、子どものことを理解できないと思っている父親が怒れないタイプだとみる。「子どもの声を受け止める態度とスキル(技術)が必要だ」

と言う点を見直し、親が率先して子供を教育していく必要が有ると思います。
特に

 報告書は一部の親の規範意識が低いことも問題視した。援助交際と呼ばれる売買春について、高校生の父親の3.4%、母親の2.2%は「悪いと思わない」と考え、カンニング容認派も父親で7.7%、母親で3.4%だった。

と言う親の認識は、即刻改めて欲しいものです。