中国が危険?

最近話題の毒餃子問題も、労働力の安い海外に生産拠点を移動させることで商品を安価に製造してきた結果であり、つまり国外へ生産をアウトソーシングした、と言うこともできる。利益を確保したままで商品を安くするには製造コストを下げる必要があり、製造コストとは即ち人件費のことなのだから、国内の人件費が高いとして国外に生産拠点を移して製造をするのはコスト削減を達成するには理にかなっている。
しかしその結果、食の不安と言うものを生み出すことになった面は確かにある。
食品テロと表現するところもある。

 今回の事件は、世界中に「日本は毒物に関しては一切の検査をしていない」ということを知らしめたことになる。爆弾を使うこともなく、飛行機をぶつける必要もなく、自爆志願者も必要ない。わざわざ日本に行く必要もない。海外で、日本向け食品に毒を入れるだけでよいのだ。しかも、非常に広範囲の人を一度に傷つけることができる。それが「毒入り食品テロ」である。


 日本人に被害を与える絶好の方法を教えてしまったのに、日本政府の腰は重い。政府は何を置いてもまず「輸入加工品の毒物検査」をしなければならない。今回検出された農薬についてだけでも、抜き取りによる毒物検査のノウハウを得る必要がある。


 行政間の連携が悪いことも致命傷である。2件目の食中毒で公表されていれば、3件目の事件は防ぐことができていただろう。食の安全を守るために、1人でも被害者を減らすために、何をしなければならないかが、いまだにわかっていない。


 いま、日本の危機管理が問われているのである。

文化の違いもあって、製造過程について「そんなに神経質に成らなくても」と軽く考える人も居るだろうし「どうせ国内に出回らないのだから関係ない」と思う人も居るだろう。この工場では昨年、工場に於いて死亡事故まで起きているらしいが、だからと言って製造過程が見直されたと言う話はない。

中国製ギョーザの中毒問題で、ギョーザが製造された「天洋食品」で2007年、蒸し器のある施設に閉じ込められた女性が蒸気をかけられ、死亡する事故があったことがわかった。
(略)
女性の母親は「(死亡事故はいつ起きた?)過ぎたことだから、もう言いたくない」、「(工場の対応は?)騒ぐのはもうやめて。もう終わったこと。過ぎたことだから」などと話した。
かたくなに口を閉ざす母親に代わり、友人の女性が証言した。
事故死した女性の友人は「彼女は工場の設備の中に入った。現場に入っていったのよ。蒸すところに。生の肉よ。肉を入れて蒸すの」と話した。
女性は、蒸し器のある施設に忘れた携帯電話を取りに入ったのだという。
そして、中に女性がいたことに気づかず、蒸し器が稼動された。
事故死した女性の友人は「彼女が中に閉じ込められて、出られなくなりました。そこに蒸気がかけられ、翌日ドアを開けてみたら、彼女はもう死んでいたんです」と話した。
天洋食品側は遺族に賠償金を支払い、表ざたにはならなかったのだという。

製造過程には私物が持ち込めないと今朝方NHKの番組でインタビューに答えていた工員が居たが、どうやら私物は持ち込めていたらしい。


こういう事態を受けて中国産の加工製品は使わないと発表した企業はあるが、国内で製造されているものが全て安全かといえばそうではない。消費期限の偽装産地の偽装牛肉の部位を偽装したり、消費期限が切れた食品をリサイクルしていたりもする。結局は自分が何を信じるのか、と言うこと。
とは言え、やはり国内で生産されるものが比較的安全だと思う。理由は、製造物に対する常識が消費者と生産者の間でずれていないと思うからだ。「これを食べる親戚が居るかもしれない」「これを息子の友達の家族が食べるかもしれない」と成れば製造物に対してずさんな態度をとることもそうそう無いだろう、と思えるからだ。重大な問題が発見される場合もあるが、全体の総量からすれば数パーセントにも満たない事だろう。不良品云云と言う意味では、毎年100%以上のリコールを出しているトヨタ車の方がよっぽど不良品だ。


企業は「消費者が安い商品を求めるから、我我もコストダウンに必死なのだ」というが、高いからといって安心できるわけでもないので、消費者側の責任というのはナンセンスだ。企業が「やったモン勝ち」「バレなきゃOK」と言った消費者を無視して利益に走ような姿勢が起こしている問題であり、消費者側の責任を問う姿勢は正しいとは思えない。企業の体質改善が行われない限り、解決はされないことだと思う。