憧れと言えば

ヒーローの変遷に見る日本の生き方」について。
多分筆者はアニメを見た事がなく、有名なタイトルを列挙しているに過ぎないのではないか、と思ってしまうような内容でした。それにヒーローと言うならアニメだけではなく、仮面ライダーウルトラマン、戦隊モノといった実写ヒーローにも焦点を当てて欲しかったですね。
またアニメの中でロボットがどの様な変遷を辿って行ったかと言う点については、「ファンタジーの作り方(著:中村一朗)」に詳しく載っているので、筆者には是非読んでみて頂きたかったです。

 我々は科学をどのようにとらえ、今後どのように道具とつき合おうとしているのか、を考える時、ロボットは最もパワフルな分析対象物です。なぜならば、それは人間と同じような顔かたちをしていて、同じような機能を持っているものだからです。およそヒトが考えつくあらゆる機能を盛り込む冗長性を持ったもの、それがSFロボットです。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20071214/143146/?P=1

と書き出していますが、日本で有名な「SFロボット」とは何だろうと考えた際、私は「ドラえもん」、次いで「鉄腕アトム」ではないかと思います。つまり日本人にとってロボットとは自我を持つ人間のパートナーであるというイメージが強いんじゃないかと思ってる訳です。まあこういうのはロボットと言うよりもアンドロイドと言う方がSFチックではありますか。
鉄人28号を祖にするならば、自我を持つロボットとしてのアトム、兵器としてのマジンガーに別れて進化し、お互いが影響しあって今に至ると考えるのが自然かもしれません。つまりロボットが自我を持つと言う考えは何ら最近のことではなく、昔から使われていたネタだという事です。自我を持つ搭乗型ロボットと言えば、エヴァよりも遥か前に「魔神英雄電ワタル」で数多く活躍していますし、広義では「新世紀GPXサイバーフォーミュラ」のアスラーダも該当すると言えるでしょう。
そういった様様なヒーローがそれぞれの時代に居るため、都合の良いヒーローをピックアップすればどの様な筋書きを作る事も出来てしまいます。アニメと世相とをリンクさせて語るのは難しく、着眼点は面白いかと思いますが、些か強引過ぎます。なので以降の細かい点に突っ込むのは止めておきます。


とは言え、筆者の言っている事に賛同する部分がないとは言いません。アニメに限らず漫画やラノベ、ゲームと言った媒体に於いて、「強い女に惹かれる主人公」と言う図式の物語は多くなってきたような気がします。それは女性に元気があって男性に元気がないというよりも、主人公が「大切な人全てを守りたい」と言う人類愛を基本にするのではなく、「自分の恋人だけを守りたい」と個人愛を基本にするようになってきたのではないかと思います。
そう言う意味では現在の利己的な世相を反映しているとも言えるかもしれません。SFロボットの搭乗者が「戦いたくない」と自己主張するようになってきているのもそれが原因かと。