日本人は狭量になったのか?

「悪意ない行為を許す」と言う寛容な心が既に上の世代の時点で失われてしまっているとは思いたくないのですが…「日本人はバカになったのか?」と言うエッセイを読んで、かなり疑問に感じました。


大工さん等の職人を例に出すと分かりやすいと思うのですが、大工に成りはじめの初心者が一軒家を建てることはほぼ不可能でしょう。かんな一つ取ってもその道具を使いこなしたといえるようになるには長い年月が必要だといいます。多くの道具を使いこなせた上で様様な知識を親方や他の大工から学び、様様な失敗経験などを積んだ上で、初めて一人前の大工となり、家を建てる事ができるようになります。
プログラマーも同じで、特定のプログラミング言語の知識を覚えていれば一人前と言うわけではなく、仕事や実践で使ってみた上でよりよい方法等を模索して行き、多くの時間を掛けて一人前になっていきます。


上記の例以外にも、全ての仕事は「一人前になったら仕事をする」と言うものではなく、「仕事をしていく上で一人前になっていく」と言うものです。とは言え、一人前になっていく上で必要なコストは顧客によって支払われる事になってしまい、あまり歓迎すべき事ではありません。しかし、他人の行う仕事全てに完璧を求められるものかどうかという事は、自分自身の仕事振りを鑑みれば自ずと分かるでしょう。



世の中には完璧を求める事はできず、仕事上の些細なミスはある程度容認するべきではないでしょうか。
もちろん仕事をしている方が「仕事上問題が発生するのは仕方がない」と開き直ってよいという訳ではありません。仕事をする上でミスがないよう勤めるのは労働者としての最低限の義務です。その努力が認められるのであれば、仕事不備があったとしてもある程度容認した上で、円満な解決を図る事が重要なのではないか、という事です。


仕事と言うものに些細なミスを許さない事で起きる弊害の例として、産婦人科医の減少が挙げられます。
周産期訴訟のリスクが高いこと産婦人科医減少の原因として考えられています。お産と言う行為のリスクを考えずに発生した問題の原因を全て医師に問うようでは、お産に関わりたくないと思う医者が出てきてしまうのも仕方がありません。
自分の権利は当然大事ではありますが、些細な事まで相手に責任を求めていくと、結果として自らが生き難い社会が構築されてしまいます。悪意極まりないミスは論外でありますが、相手も自分と同じ人間なのだという事をもう少し考えてあげるべきではないでしょうか。


また、自分の常識が相手の常識でないという事は往往にして有ります。例えば「電球」と言う言葉から「白熱灯」を思い浮かべる人も居れば「電球型蛍光灯」を思い浮かべる人も居るでしょう。「男」と言う言葉から「逞しい」と言う言葉を連想する人も居れば「理屈っぽい」と言う言葉を連想する人も居るでしょう。

「ナッツのお菓子はありますか?」と聞くと、
「はい」と言って売り子はピーナッツのみ入っている大ぶりの袋を差し出した。


「他にナッツの入ったお菓子はありませんか?」と聞くと、
残念そうに「ありません。これだけです」と言った。


 一応、念のため聞いてみた。
「チーズとナッツの小袋のお菓子はないんですね?」


 すると売り子は普通に答えた。
「ございますよ」
そして袋を私に取って見せた。

「ナッツのお菓子はありますか?」または「ナッツの入ったお菓子はありませんか?」と聞かれて、「柿ピー」を連想する人は居るでしょうか。「ナッツ」から「ピーナッツ」のみを連想する人であれば思いつくのかもしれませんが、アーモンド、カシュー、マカダミア等、ナッツといっても多種多様であることを知っていれば、「ナッツの入ったお菓子」を「ピーナッツ以外のナッツの入っているお菓子」と解釈してしまうのも仕方がないのではないでしょうか。

 すでにここで私は軽い頭痛がしているが、まだ耐えられる。
「それいくつありますか?」と袋を見て聞くと、
 売り子は「さあ」と首を傾げた。


「いくつあるか今、見れば分かるんじゃないんですか?」と
ワゴンを指差して言うと、売り子は困った顔をして答えた。


「ナッツが何粒入っているかは、袋の中を数えたことがないので分かりません」


私は聞き方を変えた。
「ナッツの数ではなく、袋の数です。今、このワゴンに、何袋の、チーズの入ったナッツ菓子が、乗っていますか?」
「4つです」
「じゃ、2つください」
「はい」

初めから「2つください」と何故筆者は言わなかったのでしょう。
「それを2つください」
「これは1つしかありません」
「では1つでいいです」
と言うやり取りで十分済む事ではないでしょうか。
それに「ナッツが何粒入っているかは、袋の中を数えたことがないので分かりません」と言われたら、「そんな意地悪な質問はしませんよ。私が聞きたかったのは何袋あるか、ってことです」と笑顔をプラスして切り返してあげればいいじゃないでしょうかね。


私も話の通じない店員にどうやって己の意思を伝えようかと悩んだ事は有ります。その場合、怒ったり怒鳴ったりしても仕方が無いという事を私は知っています。怒ったり怒鳴ったりすれば、相手は「謝る」若しくは「反論する」と言う行為を取る可能性が高く、「求めている事をやってくれる」可能性は限りなく低くなるからです。あくまでも私はですが、悪意のない店員のミスに関しては「次からは気をつけてよ」と一言かけて終わらせます。それで十分だと思ってます。
どうしても我慢できない苦情があったとしても、他のお客さんが大勢居るような場でその店員個人に対して怒りをぶちまけるのではなく、後で店長に苦情を伝えてみたり、お店のお客様センターに事態の改善を求める程度にしています。


住みよい社会にするために重要なのは、些細な事までキッチリと責任を追及することではなく、「お互い様」と相手の立場を察して許す心ではないでしょうか。