非効率でもやらざるを得ない慣習

http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20071129/141924/」について。
同意できる部分が多かった。中でも実体験から共感できたのは下記の点。

 以前、経営ビザの申し込みのために入国管理局へ行った時、申込書をA4の紙1枚にコンパクトにまとめて書いていったのに、「分厚い資料があった方がいい」と言われ、余計な書類を無理やりに追加した。


 行政の職員は長い文書を読むのが好き、ということで、以前働いていた会社でも公共事業の入札に申し込むのに、分厚い資料を作った。無駄な写真もたくさん撮った。知恵や能力で勝つより、資料で勝つような気がした。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20071129/141924/?P=2

資料は高橋メソッドのように簡潔で分かりやすく要点のみに絞り、各詳細については質問があれば適時答えるようにすれば良いと私は思っている。
そもそも山ほどの資料を作ったところで、その資料の殆どは読まれる事が無い。どれだけ膨大な資料を作ったところで資料だけで相手を説得する事は出来ず、却って膨大な資料であれば膨大な資料であるほど、資料の要点を説明する必要が出てくる。読む方にも都合があり、その資料だけ読んでいればよいというわけではないのだから。
それでも人は資料を求める。読まなくても、理解できなくても、とりあえず資料を求める。「それっぽい」のが重要なのだ。
つまり、資料の厚さでしか資料の価値を測る知識がないからに他ならない。
オフィスから紙が無くなる、なんていわれていた時代は何時だったか…


作った資料や文書等をこのように解釈して、内容の大幅変更を唱えるような連中が居る昨今、山ほど書いた、若しくは受け取った資料が自らの首を絞めることにもなりかねないのが怖い。