何をもって○○とするか

先日、先生とゲームの話になりました。
現在先生はゲーム関連の書籍を書いていると言うことだったので、その刺激になればと思い他の先輩らを含めた上でこのような話題で議論した次第です。
ちなみに先生は1980〜90年代にゲームシナリオの作成を行ってきたこともあり、私たちとはゲームに対する立ち位置が「やる側」と「作る側」と決定的に違うので、色色考えることが多かったです。


その最中、ファイナルファンタジードラゴンクエストの差について触れました。
先生や先輩らの意見としては、多く世の中に言われているような点についての差を挙げていました。同意見を探したところ、はてなユーザーの方で良く纏まっている記事を見つけたので、先生らの意見の代弁として引用させていただきます。
引用:「遊ばせるDQと魅せられるFF


私はそういった意見に反対でした。
以下、私はDQは1〜5、FFは1、3〜7しかやっていないと言う前提でお読みください。


私の考えるDQとFFの決定的な違いは、エニックスが作っているのかスクウェアが作っているのかという点のみであり、他の点において差はありません。つまり、スクウェアの作った大作RPGはFFと名が付き、エニックスの作ったRPGにはDQと名が付いているということです。
これは車に例えれば日産やホンダが「スカイラインと言う名前をつければこの車は売れるだろう」とか「シビックという名前に惹かれる人がいるだろ」と考えて、様様な車に「スカイライン」や「シビック」と名づけるようなものです。


例えばDQらしさとは何でしょうか。
DQは1〜3までは「ロトシリーズ」として世界観と時間軸が統一されていること、主人公らが必要最低限しか喋らない為に無個性に近い事などを挙げてDQらしさと言えたのですが、DQ4からは主人公らも1名を除いて全員が個性を持つようになり、それらのキャラクターが出会いと別れを繰り返して様様な物語を織り成すようになってきた為、DQらしさというものはどんどん失われて行ったと感じます。
特にDQ5は子供の頃から大人になるまでの長い時間が経過するという壮大なスケールの物語であり、FFに比べてDQのシナリオが魅せないという批判にはちょっと首を傾げます。またDQ4のシナリオは決して勧善懲悪の物語ではなく、クリア後の空しさといったら無かったです。
敢えてDQらしさというものを挙げるとするなら、キャラクターデザインが鳥山明氏で、音楽がすぎやまこういち氏であることでしょうか。


DQ以上に、FFらしさを語るのはとても難しいのです。
1〜3と4〜6、7や9の共通点を見つけることが出来る人がどれだけいるのでしょうか。使われているアイテムや魔法、チョコボや飛空挺、シドのような登場人物等、確かに世界観を構築する要素ですが、それをもって「FFらしさ」と言えるものでしょうか。それは共通の世界観(っぽいもの)を持つ聖剣伝説はFF外伝と位置づけられていますが、FFでは無いことを考えてもらえれば答えの想像が付くと思います。
FFは1〜3においては、キャラクターは喋ると言っても無個性に近いです。キャラクターが色濃い個性を持ってきたのはFF4からであり、6以降は操作キャラもコロコロ変わるようになりました。結果、一本道のシナリオではあるものの、異なった場所で同時に起こっているような出来事も語れるようになり、ストーリーの複雑さを増すことができるようになりました。それが「らしさ」を増徴させたと言うのが一般的な見方でしょうが、9をFFとしてしまうと途端に難しくなります。


上記のように「DQらしさやFFらしさが定まらない以上、DQとFFを比べることは出来ない」と私は考えています。それでも敢えてDQとFFとを比べるとするならば、それは「販売元の違い」としか言えない、ということです。結局購入者側に「DQだから買う」とか「FFだから買う」と思わせる為にDQやらFFやらという名前を関しているに過ぎません。
極端な話、FFにDQのシナリオや演出をFFに使ってもそれはFFと言えるでしょうし、FFのものをDQに使ってもそれはDQと言えるでしょう。


「FFとDQとの違いは何なのか」と言うことに一番苦心していたのは販売元だったのかもしれません。なのでDQの最新作がDSで出ると決まったのは、販売元がやっとDQらしさについての答えを出せたからかもしれない、と私は思ってます。