一件公正に聞こえるけれど…

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20071017/137779/」について。
2点について反論。


1点目。

長妻 我々が言っているのは、そこに裁判所みたいな組織を送り込み、公正な第三者が中に入ってまず資料を見てみるという制度です。それが本当にプライバシー侵害になるとか、守秘義務違反になるのかその人たちが判断して公開するかどうかを決める。そうした個人情報や守秘義務を盾にして情報を隠すようなことは防げる。


武田 なるほど。第三者委員会制度ですね。人選が難しいとは思いますが。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20071017/137779/?P=2

武田氏の仰るとおり、人選がとても難しい。そしてその公正な第三者が本当に公正かどうかは分からない
例えば第三者委員会の構成員が有る特定の政治的な意図を持っていた場合、本来なら守秘義務によって守られる必要の無いものまで開示されなくなる恐れが有る。
例えば被差別部落の方や在日朝鮮人の方の情報について「その人の情報が開示されることが差別に繋がる恐れが有る」として、それらに関わる情報を一切開示しない恐れが出てくるだろう。そして反対に過去犯罪を犯した方の情報について、「地域社会の安全の為にも情報を開示する必要が有る」と言うようなことをしないとは言い切れない。
「それなら第三者機関を管理する第三者機関が…」と、監査機関を設けるのはいたちごっこでしかない。


既存の第三者機関が効果的に機能しているのであれば良いのだが、例えば「http://www.asahi.com/national/update/1029/TKY200710290281.html?ref=goo」における県個人情報保護審査会のような事例を見てみよう。

 卒業式や入学式の君が代斉唱の際、起立しなかった教職員の名簿を報告させていた神奈川県教育委員会は29日、昨春の卒業式から今春の入学式までの名簿を廃棄する方針を決めた。県個人情報保護審査会から24日付で「国歌斉唱時における不起立という行為は、県個人情報保護条例が原則取り扱いを禁止している思想信条に基づく行為と認められる」として名簿の利用を中止すべきだ、との答申を受けていた。

業務命令に反した職員の名簿を「個人情報保護法違反だ」として破棄させるような答申をするような機関が、公正な第三者機関として働いているとは思えないのは私だけだろうか?個人の権利も重要だとは思うが、教育の場に於いては生徒の権利が尊重されるべきだろう。
問題の有る教師の名簿を保持できないとすると、子供がどのような教育を受けるのか心配になる。



2点目。

長妻 いや、我々は官僚を政治家が任用できないかと考えているんです。


 国会議員と官僚の間には官僚の人事は関与しません、その代わり「自分の選挙区に公共事業を有利に付けてください」という下心を持った、持ちつ持たれつがあって、それもまた不可侵条約みたいになっている。


 そこで我々民主党で考えているのは、中央省庁の局長以上の130人、これは検察、警察、国税は外した数字ですが、これを政治任用、例えば大臣や政権党が任命できないかと。もちろん当然、優秀な局長がいればそのままでもいい。もしかしたら係長から大抜擢してもいいし、外から連れてきてもいい。


 そういう制度でやると日本の東大法学部純粋培養エリートキャリアシステムが崩壊するんです。難しい試験を受けて入省しても課長止まりですから。では優秀な人はどうするかといえば、民主党自民党の政策調査室に就職して政策を勉強する。あるいはビジネス界で成功してそこから頭角を現す。あるいは学者で成功する。そうした立場から局長職に雇用される。役所の局長職はやりがいがありますよ。権限をすごく多く持っているわけだから。局長のハンコがないと何も進まないわけで。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20071017/137779/?P=3

一見良い事をいっているようにも読めるが、結局彼らが任命する連中は政治家寄りの連中なのである。
局長以上の130人を「国民選挙で決める」ならまだしも、「我我政治家が決める」では、結局政治家の権限を増すだけであり、より一層の特権を手に入れて我我との格差を広げようとしていることに他ならない。
確かに自浄作用が期待できない省庁の仕事に於いて何らかの浄化作用を設けることは手段の一つでは有るが、これは人事権を握った政治家が省庁に対する発言力を増させ、政治家と官僚(候補者)との癒着を強めるだけではないか。


それに担当する政権に都合の良い方方が唐突に省庁を支配する事が可能になってしまうのは、一見スムースな政策実行ができる理想的な状況を整備できる良い方法にも思えるが、反対に大きな危険も孕んでいるのではないか。
例えば厚生労働省のトップ連中が全員経団連関係の方方に占められた場合、労働基準監督所が己の職務を全うすることができるだろうか?偽装派遣の合法化やホワイトカラーエグゼンプションの成立などが一気に行われてしまわないだろうか?
有る程度政府と省庁との足並みがそろっていないからこそ、一方的な政策が通らなくなっている。当然それは弊害では有るのだが、急激な変化は社会の枠組みを大きく揺るがしてしまい、結果的には我我国民の為にならないと私は考えている。


個人的には、各省庁の局長クラスの連中について、最高裁判事のような国民審査があるだけでも大分違うと思うのだが。