何をもって「スキルアップ」なのか?

【第16回】「女磨き」のワナに気づけ!」より。

 まず1人は、「レベルアップしていく女性を見て、恐れをなして逃げてしまう男もいれば、『俺も頑張らなきゃ』とレベルアップする男もいる」と回答。「いずれにしても、自分は常にレベルアップを目指しているので、後者のような男性でないと、おつきあいできない。こちらがレベルアップするたびに逃げられては、困りますから(笑)」と結ばれていた。


 もう1人は「自分が磨けば磨くほど、男性はひいていくと思う」とさらにシビアな回答をしている。彼女はさらに、「磨くべき部分は、素直さ、性格のかわいさ、ダメな部分をつくりそれをアピールポイントにできるしたたかさ」と、さらに鋭く指摘している。「ダメな部分をなくしてピカピカに磨き上げること」は、決して男性にとって効果を発揮しない、ということを、この女性は気づいているのだ。

この手の話で何時も気になるのは、「何をもってスキルアップと呼ぶのか」と言う点。
例えば武道で段位を取る事や競技などで入賞する事など、客観的に技術程度を判断できるのであれば、自他共にスキルアップをしたと評価する事もできるだろうが、単に「習っただけ」「続けているだけ」でスキルアップをしているとするのであれば、評価などは評価者の一存で決まってしまいうのだから(そして常に自己評価でしかないのだから)、他者と比較できる評価基準として意味の有るものにはならない。


また、客観的な評価がついたところで、その評価をどのように受け取るのかも個人の価値基準に委ねられてしまう事も問題だ。
例えばこのエッセイの中ではサルサなどのダンスを推奨しているが、ダンスのよさが分からない人に「サルサの発表会で入賞したの!」と自慢したところで冷たい反応しか返ってはこないのは予測ができること。また例えば大金を使って競技車両を作り多くの時間を使って練習してどうにかレースで入賞した場合、車に全く興味の無い人がこれを「スキルアップ」と評価できるのだろうか?
どちらも興味の無い人にとっては「単なる道楽」として切って捨てられるだけではないか?
であれば、

3)10割近くの女性が、「自分と同点か、10点上の男性」と結婚したいと思っている。

と言うようなアンケート結果が、単なる身勝手な発言でしかないという事が分かってもらえるはずだ。


世の中には絶対的な価値観など無いのだから、自分と他人とを評価して釣りあう釣りあわないとほざいたたところで意味は無いのだ。
個人の価値観を重要視すべきだとして新しいライフスタイルの提案をされている方が、何故他人を評価する愚について理解していないのか分からない。
エッセイの表題からそういった点について触れてくれるのかと思っていたのだが…