秋葉原での事件について


事件の内容よりも事件から派生する事柄に対して色色書いていたら纏まらなくなってしまった。自分の力量を痛感するのみだが、そのような駄文でも読んでいただけるのであればありがたい。



漫画やアニメ、そしてゲームといった「オタク」文化については、海外でのイベントは肯定的に捉えられる事も多いし、日本が誇る文化として取り上げられる事も多い。

 漫画やアニメ、コスプレなど日本のポップカルチャーの愛好家らが年に1度パリ郊外に集結する「ジャパンエキスポ」が3日始まった。年を追うごとに入場者数が増加、主催者側は6日までに10万人の入場を見込んでいる。


 エキスポは今年で9回目。日本文化を売り込むまたとない機会として、日本から参加する企業や団体が目立つのが今回の特徴だ。入場者は大半が10代から20代前半の若者だ。コスプレ大会や漫画原作者小池一夫さんの講演会などが行われる。


 日本からの参加者の登録窓口となっているユーロジャパンコミックによると、同社を通じてエキスポに参加する日系企業・団体は今年、30に達し、昨年の18から急増した。


 ゲーム機や出版業界からの参加のほか、漫画やコスプレとは直接関係がない団体も増えている。(共同)

仏で漫画ファン祭典

しかし国内となると途端に事情が変わり、オタク文化を好む方方を犯罪者予備軍のような取り扱いをするのは不思議だ。
例えば下記の記事では、「ゲームをすると馬鹿になる」としている。

 加藤智大(25)の事件の余波が続く中、注目を浴びている本がある。「脳内汚染」(文芸春秋)だ。著者は京都医療少年院に勤務する精神科医岡田尊司氏。


 岡田氏がこの本で解説するのはテレビゲームに熱中することの危険性。加藤も子供のころからゲームにのめり込んでいたため、“予告の書”とみられているのである。同書によれば、ゲームにおぼれる子供たちは仮想と現実の区別がつかなくなり、麻薬と同様の中毒症状を呈するという。


 岡田氏は興味深い資料を紹介している。東京、大阪などで中学生を対象に実施した調査で、ゲームにはまる子供はそうでない子供に比べて次のような特徴があったという。


◆「生まれてきてよかったし、自分のことを好きだと思う?」に「いいえ」と答えた割合は約5倍。
◆「人は敵か味方かのどちらかだと思う」と答えた子は2.5倍。
◆「傷つけられるとこだわり、仕返ししたくなる」と答えた子は約2倍。
◆「小さな動物をいじめたり、傷つけたことがある」と答えた子は3倍強。


 こうした兆候の先には現実と仮想の区別が曖昧になり混乱する「仮想現実失調」が待っている。
「仮想現実失調に陥った子供たちは、実際の現実とはまったく違う世界に生きているともいえる。それが彼らにとっての現実とさえなっているのだ。現実と仮想の逆立ちが進む中で、同じ人間の生命を破壊することへのもっとも強いタブーさえ失われてしまうのである」


 この指摘通り、いとも簡単に7人の生命を破壊したのが加藤というわけだ。11年前に神戸で起きた「酒鬼薔薇聖斗」こと少年Aの事件でも“テレビゲーム脳”が問題になった。酒鬼薔薇は当時14歳だったが、同年齢の加藤は酒鬼薔薇よりさらに10年以上ゲームにはまってきた。20年に及ぶゲーム歴は、彼の頭を壊し、無感覚で人を殺す狂人に変えたといえるだろう。子供の手からゲームを取り上げたくなる話だ。

テレビゲームで子供の頭は壊れている! (ゲンダイネット)

割合について語られているのは設問の1で、これは単にゲームをやることで知識量が増えたために、現場を悲観的に捕らえるようになってしまった為とも考えられる。例えば「○○と言う敵が倒せない」と言うことをネットで調べるといった、情報端末の積極的利用がなされている為に、ゲーム以外のことについてもそれらを活用することで、現在の日本の状態を悲観的に捉えるサイトなどを見てしまった結果、生まれてきた事に対して悲観的になってしまっている、とは考えられないだろうか。
他の点については、ゲームにはまる子とはまらない子の数の差が示されていない為、全く意味を成さない発言である。例えばゲームにはまる子供の総数がそうでない子供の10倍居たとしたら、数が2.5倍居たとしても割合的には1/4になる。これはその他の設問にも同じように当てはまるので、氏の結論とは逆のことが言えてしまうことになる。
そもそも「ゲームにはまる」と言うのはどういう基準なのか不明だ。


「特定のゲームが犯罪を引き起こす」という意見もあるが、それとは全く逆の調査結果もある。

 ハーバード大学の2人の研究者によると、暴力的なゲームを体験した子どもは日常世界でも暴力的な振る舞いをするということを示すデータは得られなかったという。これは、大衆の意見の形成につながっている多くの報道とは根本から対立するものだ。150万ドルの予算で2004年に開始したこの調査は、約1200人の子どもを相手に「Grand Theft Auto」などの暴力的なゲームと、「The Sims」などのそれほど暴力的ではないゲームを体験させ、その後の振る舞いを調べた。


 Lawrence Kutner氏とCheryl Olson氏の2人の心理学者は、暴力的なゲームをプレイすることはほとんどの子どもにとって、ストレス発散に過ぎないとの結論に達している。もちろん、暴力的なゲームを数時間プレイした後に遊び半分の攻撃性を見せた子どもも中にはいたが、武道アクション映画を観た後の子どもが見せる反応と同じレベルだった。


 Kutner氏とOlson氏を含め、心理学者の中には、ビデオゲームは脳にポジティブな影響を与えると主張する動きがある。Steven Johnson氏も、自著「Everything Bad is Good for You: How Today's Popular Culture is Actually Making Us Smarter」(邦題:「ダメなものは、タメになる テレビやゲームは頭を良くしている」)の中で、この考え方を考察している。


 Kutner氏とOlson氏は、「Grand Theft Childhood: The Surprising Truth About Violent Video Games」という本に調査の結果をまとめている。

暴力的ゲームは子どもに影響なし--ハーバード大心理学者が調査

GTAのようなゲームが子供の教育に良いと思って居なかったが、そう言うわけではないようだ。とは言えこの結果を是としなかったとしても、東方シリーズ秋葉原の事件に関係しているとは到底思えない。

 東京・秋葉原で17人を殺傷した加藤智大容疑者(25)は、土浦無差別殺傷事件の容疑者がはまったのと同じゲームを好んでいた。警視庁の調べにも「自分を傷つけるものは嫌い。アニメやゲームは傷つけない」と供述しているという。凄惨な事件が起きるたびに取りざたされる、ゲームと殺人。両者に因果関係はあるのか。


 「これが『東方』で使われたのと同じ武器なんだ」。加藤容疑者は犯行当日の8日朝、こう言って友人にナイフを渡していた。


 「東方」シリーズと呼ばれるのは、美少女らがナイフや弾丸を敵に浴びせて倒すゲーム。加藤容疑者は主人公が使うナイフを“形見”として友人に残していた。美少女が殺人を繰り返す「ガンスリンガー・ガール」というゲームにもはまり、友人宅で原作アニメのセリフを暗唱し、制止しても言い続けたという。


(略)


 ゲームに詳しいジャーナリストの篠本634(ムサシ)氏は「ディープなオタクほど自分が青田買いしたアニメやゲームがメジャーになるのを嫌う。普通は別の対象を探すが、加藤容疑者は不満を募らせて文句を言うだけ。このねじれた感覚が現実世界でも変わらなかった。オタク以前に人として歪んだ側面がにじみ出ている」と分析する。


 加藤容疑者は女性の胸の揺れなどを強調した対戦型ゲーム「デッド・オア・アライブ XTREAM BEACH VOLLEYBALL」の画像を友人に送ったこともある。加藤容疑者が「共感した」と影響を認めた土浦連続殺傷事件の金川真大容疑者(24)が大会で準優勝したゲームだ。「格闘とエロを同時に満たせ2D(2次元)好きには心地が良い。とはいえ大半の愛好家はゲームと現実の壁をわきまえている。マニアだから凶行に走ったのではなく、現実世界に刃を向ける発想しかなかった2人がこのゲームにのめり込んでしまった不幸を嘆くべきだ」(篠本氏)


 ジャーナリストの井上トシユキ氏は「現在のゲームはストーリー、絵とも完成度が高く、現実世界に反応を得ることができない人間が100%意のままに反応してくれるゲーム内の美少女の魔力に取りつかれる。その中で2人の容疑者が最悪の結末を迎えてしまった。不幸な偶然ではあるが、不幸な必然ともいえる」と警告した。

“ゲームと無差別殺人”両者に因果関係はあるのか?

篠本氏の最初の発言については、「オタク以前に」と言う表現にやや引っかかるものが在るが、私の知るオタクの方方の多くは皆このような方方であったので、頷ける部分はある。自分が良いと言ったものしか認めないし、自分が信仰(この表現が一番しっくりくる)する方方の発言に賛同し、認めない人を排斥しようとする。
以前そういった方方と映画を見に行った際、私は同じ映画を見たという体験を基に色色な話ができるものと期待したが、「良かった、ホント良かった」と言うだけで、具体的に何が良かったのかは言わないし、「こういう点をこうしたらもっと面白くなったんじゃないか」と言う意見を出すと「文句を言うなら見なければ良い」と言うだけだった。
尤もこれはオタクに限った事ではなく、オタク以外の方方と話をしても「アレは良かった」「アレはダメだった」と言うことくらいしか言わない人が多い。「何が如何だったから」と言う理由の部分については触れずに結果だけを述べ、自分の意見と違う人を「お互いの意見を尊重する」と言う建前を使って理解しようともしない。
つまり、そう言った他人の意見を聞けない人が増えたというのは、単に価値観の多様化がもたらした弊害だと私は思っている。
ちなみに氏の発言に関しては、「デッド・オア・アライブ XTREAM BEACH VOLLEYBALL」は、ビーチバレーボールゲームであり(それも名目上の事で、メインは着せ替えゲームといえるだろう)、格闘ゲームではない。このゲームをやっていて強姦をしたと言うならまだ話は分かるが、大量殺人に繋がるようなゲームではないことを付け加えておく。


井上氏の発言に対しては全面的に反論せざるを得ない。東方のストーリーや絵が完成度が高いと言うのは頷けないし、ゲームシステム上シューティングゲームはプレイヤーの100%意のままに反応しても思うままにゲームが進まないものだ。私は東方のシリーズは初期の3作程度しかやったことがないが、難易度を一番低くしても完全クリアが1度しかできなかった苦い思いが在る。子供の頃はグラディウスは3面で行き詰ったし、ツインビーは1面もクリアできなかった。
少なくとも私にとってはゲームとは「思い通りになるもの」ではないし、多くのゲームはそう言うものではないかと思っている。


オタクが危ない、と言うのはこの記事でも。

 秋葉原で再び惨劇が起きそうだ。


 加藤智大(25)による無差別殺傷事件で、秋葉原の商店街が歩行者天国を存続させるかどうかでモメた結果、当面中止することを決めた。廃止派の中から「ホコ天を続けると模倣犯が出てくる」と危惧(きぐ)する声が上がっていたことも大きく作用した。
「第2、第3の加藤が再び秋葉原を狙う恐れは否定できません」と言うのは明治大学講師の関修氏(心理学)だ。
「日ごろ鬱憤(うっぷん)をためている人の中にはどこかで大暴れして他人を傷つけたいという願望を抱いている人がいます。普段は社会的な道徳心でそれが抑制されているのですが、加藤容疑者の犯行を見て“彼がやったんだから、オレもやっていいんだ”と自分勝手に思い込む。つまり他人と同一化してしまうのです」


 これに加えて加藤の事件が一種の“既成事実”となり、犯行の引き金となる。
「計画殺人の犯人と違って、無差別に人を殺そうとする人は場所も安直に選んでしまいます。秋葉原は加藤容疑者が一度事件を起こした“実績”のある場所。だから第2の加藤は“秋葉原なら成功する”と思い込み、狙いをつける。とくに秋葉原に土地勘のある人が危ない。すぐではないにせよ、秋葉原で同じような事件が起きる危険性はあります」(関修氏)


 関氏によれば、無差別殺人の心理は自殺のそれに似ているという。自殺したがる人は自殺者の多い高島平団地や中央線の線路、青木ケ原の樹海などを「ここなら死ねる」と思って最期の場所に選ぶ。“実績”にすがりつくというのだ。


 いずれにせよ、秋葉原はオタクの街。ホコ天中止は正解だ

気をつけろ!秋葉原を“第2の加藤”が狙っている

締めの文章が唐突過ぎる。
オタクに限らず多くの人が鬱憤を貯めているのではないか?そしてその鬱憤がどうにもならないからこそ、鬱病患者が150万人も居るのではないか。それとも鬱病患者の大部分がオタクであるという統計でも在るのだろうか。


もし「オタク」と言う存在が、以上のように「一風変わった性質を持つ」とか「仮想現実失調」と一種の精神異常者のように扱い(実際にオタクが精神異常者かどうかはともかく)、その扱いをどうにかすべきだと発言することは障害者差別にも繋がる発言である事を自覚しているのだろうか。「あいつらは頭がおかしいから事件を巻き起こす」と言う言葉の「あいつら」の部分を「オタク」とするか「精神障害者」とするかの違いであろう。
失礼ながら精神障害者の方というのは、公的機関によって「精神障害によって一般の生活を送る事が困難である」と認められているが故に各種優遇措置を受ける身分である。つまり異常である事が公認されている存在だと言える。どのくらい破格の措置を受けているかと言えば、下記のような事例が挙げられる。

 大阪府茨木市で平成16年11月、車で男女5人を次々とはねて2人を殺害したとして、殺人と殺人未遂の罪に問われた産経新聞売店の元配達員の男(27)の控訴審判決公判が24日、大阪高裁で開かれた。古川博裁判長は、男が犯行当時、心神喪失状態で責任能力がなかったとして無罪(求刑・無期懲役)とした1審・大阪地裁判決を支持、検察側の控訴を棄却した


 公判は1、2審を通じ、男の刑事責任能力の有無が最大の争点となった。


 男は捜査段階と1審公判段階にそれぞれ精神鑑定を受け、両鑑定とも統合失調症に罹患(りかん)し、幻聴による「悪魔の声」に命令された犯行とした。


 しかし、幻聴が犯行に及ぼした影響の程度をめぐる認定に違いがあり、捜査段階の鑑定は限定的な責任能力を認める心神耗弱、公判段階の鑑定は責任能力がない心神喪失とし、昨年2月の1審判決は公判段階の鑑定を採用して無罪を言い渡していた。


 控訴審で検察側は、男が「お母さんと妹を殺す」という幻聴の命令を拒否しており、幻聴に完全に支配された状態ではなかったと主張した。しかし古川裁判長は、家族への殺害命令について「1回だけなされたもので、拒絶しようと耐えている間に『5人殺せ』という次の命令に変わった。決して執拗(しつよう)なものではなかった」と指摘。男が犯行後、幻聴に従って車内で全裸になり、自殺を試みたことなどから「幻聴の圧倒的な影響下にあった」と認定、検察側の主張を退けた。


 男は16年11月18日朝、茨木市で車を暴走させ、自転車に乗っていたいずれも会社員の村田忠治郎さん=当時(61)=と米林和夫さん=同(56)=を相次いではねて殺害、自転車の男女3人に重傷を負わせたとして起訴された。

「悪魔の命令」心神喪失で1審無罪の5人殺傷、2審も無罪

精神障害があり刑事責任が負えないのであれば、5人殺傷しても無罪になるのだ。7人殺しても無罪だったかもしれない。人の命を奪うと言う行為であっても、精神障害者は罰せられないのだ。少なくともオタクであることを理由に殺人が無罪になることはありえない。
そう言う意味に於いて、オタクは精神異常者よりは精神的に確りしているのである。にも関わらずオタクは「正常な判断ができない」と叩かれる。障害者を叩けば人権団体が煩いが、オタクにはそう言う団体が存在せず、好き勝手な事を言っても咎められないからだろう。咎められないからといってやっていること自体が正しい訳ではない筈だが、言っている本人達には気付かないのだろうか。
精神障害者の方方が「もっと外に出たい」と要望する事に世間は同情的な目さえ向けると言うのに、何故オタクを叩いても良心の呵責が起きないのか甚だ疑問である。

 県精神障害者福祉会連合会は24日、精神障害者のバス運賃を半額にするよう求める、署名活動を福岡市の繁華街で行った。精神障害者の家族や通所授産施設の職員ら約30人が参加し、約400人分を集めた。


(略)


 同連合会によると、身体障害者知的障害者は県内のバスを半額で利用できる。国土交通省精神障害者にも同様の対応をするよう日本バス協会に通達しているが、県内では精神障害者は「精神障害者保健福祉手帳に顔写真がなく、本人確認ができない」などの理由で通常運賃を支払

っている。22都県で割引きが実施されているという。
 同連合会の一木猛会長(64)は「精神障害者の作業所での収入は1日400円ほどで、交通費もままならない。障害者がもっと外に出られるよう配慮してほしい」と訴えた

「バス運賃半額に」 県精神障害者福祉会連合会 家族ら署名活動 福岡市


多分、オタクを蔑む側は新しい差別対象を作り出したいのだろう。それは政府の失策や企業の横暴によって発生している世の中の不平不満を押し付ける為のスケープゴートとも言えるだろう。現状を打破する力が無いと自らの能力の限界を感じるが故に、現状を打破する為の行為ではなく現場の中で鬱憤を晴らす先を確保しようとしているのではないか。例えば「子供が上手く育たないのは自分の所為だ」と言うことを認めたがらない親はその典型で、子供の素行をオタク文化の所為にして自らの責任から目を瞑っているだけではないか。そうやって自分達の責任を認めずに外に求める姿勢は「モンスター○○」と呼ばれる方方にも共通している。
そうやって特定の存在を叩いていれば、そう言う存在の反発を招くのは当然だとも言える。「オタクは社会悪」として叩いてきた結果がオタクによる犯罪に繋がるのだとは誰も考えないのだろうか。それともオタクという「いじめられっこ」は黙ってその不当な扱いに耐え続け、我慢できなくなって手を挙げれば「やはりオタクは犯罪者なのだ」と鬼の首を取ったように喚き散らす。我慢できずに自殺したら自殺したで「生きていれば良いことがあった筈」と奇麗事を言う。
差別されるオタクにとっては八方塞である。

 こんな会話が耳に飛び込んできた。


 「すごいの見てるんだよ。血も撮れたかも。いますぐ送るね」


 「倒れてるところ見たよ。ブログに載せようか」


 8日午後2時すぎ、東京・秋葉原で無差別殺傷事件が起きた直後だった。高架になっているJR秋葉原駅前の歩行者用通路に、多くの人が群がっていた。ちょうど事件現場が見通せる場所で、われ先に携帯電話をかざし、現場を撮影しようとしていた。


 その多くは20代とみられる若い男女。電話で様子を伝える人もいれば、撮った写真を送信しているのだろう、画面を見ながら親指をせわしなく動かしている人たちも。ひとしきり写真を撮ると、何ごともなかったかのように、その場を立ち去っていく。


 それは、妙に冷え冷えとした狂騒だった−。当時、現場の路上にいた男性会社員(36)も「(周囲の人々の様子は)興奮というより、冷めた感じで不気味だった。『自分には関係ない』という空気を強く感じた」と振り返る。秋葉原に頻繁に通っている彼は、「アキバに集まってくる若者はアニメやゲームといったメディアで死体を見慣れている。しかもアキバという“劇場”で起きたから、リアリティーに乏しく、虚構の出来事のように思えたのでは」と話す。


 現場に無造作にレンズを向けていた彼らの姿からは、被害者の痛みに対する想像力は感じとれない。自分や家族が刺されたかもしれないという恐怖感も伝わってこない。どこか異様な風景だった。


 ■別人格の“軽さ”


 携帯電話などデジタル機器が普及し、インターネット環境が整ったことで、メディアの姿は大きく変わった。掲示板やブログなどを使って、誰でも情報の発信者になれる時代。そんなメディアの変化は、人々の価値観もいやおうなく変えつつある。


 現実感や当事者感覚に乏しい人が増えているのは確かなようだ。東大大学院情報学環西垣通(とおる)教授(情報学、メディア論)は「3年ぐらい前から、誰でもブログが簡単に作れるようになったことと関係があるのでは」と話す。


 西垣教授は「ネット上では、別の人格になりきって注目されれば、自信を取り戻したり、劣等感を解消することも可能」とブログの特徴を指摘したうえで、こう警告する。「ネット上のバーチャルな世界が本来の自分の姿だと錯覚するようになると、生きている重みを実感しづらくなってしまう」


 一方、ネット上に限った問題ではないと指摘するのは立教大社会学部の是永論(これながろん)教授(情報行動論)だ。「ブログやネットが『想像力』を奪っている、というより、むしろ今まで『公共の場の発言』がどのような影響力を与えるか、きちんと考えたり訓練する場が乏しかった」。インターネットが仲間内だけの対話ツールではなく、不特定多数に向けられたメディアで、一定の「公共性」があるという感覚は、たしかに薄いのかもしれない。


 ■惻隠の情どこへ?


 東工大名誉教授の芳賀綏(はが・やすし)氏も、最近の社会動向についてこう指摘する。「喜怒哀楽に心を揺さぶられない人が増えてきた。自分のことでなければ心が痛まない、災難が降りかからなければいいという『傍観』の立場が許されるのが最近の風潮。その一端が今回の事件には顕著にうかがえる」


 現場での“記念撮影”について、芳賀さんは「『義憤』『惻隠(そくいん)の情』といった日本人の精神をよく表す言葉が忘れ去られ、日本人としてまっとうな感覚が失われている」と憤る。


 他人の痛みに思いをはせる−。そんな良識を、誰もがなくしてしまったわけではないと思いたい。事件後、現場近くに設けられた献花台に手を合わせ、涙する人々の姿もあった。(中島幸恵)

【eye】秋葉原無差別殺傷事件 “記念撮影”する傍観者たち

「被害者の痛みに対する想像力は感じとれない」なんてことは今に限った話ではない。「野次馬」と言う言葉が日本語にあるのは何故だか考えればわかる事である。つまり昔から多くの人にとって「他人事は他人事」だったのだ。「昔は違った」と言うのは懐古主義者の言い分でしかない。携帯カメラが普及していなかった時代には現場での記念撮影は行われていなかっただろうが、ではその場にカメラを持っている人が居たら写真を撮らなかったとでも言うのだろうか。
そもそも惻隠の情を最も持っていない存在はマスコミの人間ではないか。「スクープ」が撮られる側の都合を考えて行われたものがどれだけ在るというのだろうか。話題の為にはどんな取材でもするようなマスコミから「惻隠の情があるのか」等といったご高説を賜る必要は私には無い。



先月秋葉原で起きた無差別殺傷事件の犯人である加藤智大氏自身については、深く語るべき対象ではないと思う。彼が最後、警察官に銃で撃たれて死んだのであれば、彼自身が思い詰めるに至った背景を語るべきだと思うが、卑怯な事に、彼は最後の最後になって自らの命惜しさに銃を突きつけてきた警官に対して武装を放棄してしまった。
結局、彼にとっての意地や思いの強さと言うものはその程度だったのだろう。そう言う意味に於いては彼の思想的は非常に甘かったと言わざるを得ない。

京・秋葉原で7人を殺害した通り魔の男は25歳、滝廉太郎樋口一葉の没年を超えている。彼女のいない焦り、職場への鬱憤(うっぷん)、敗北感、孤独感…。男が携帯サイトの掲示板につづった悩みがどれも、ごくありふれたものであることに拍子抜けした◆「誰かが見て、自分を止めてほしかった」。警察の取り調べに男は、掲示板に書き込んだときの気持ちをそう語ったという。甘ったれるんじゃない。

6月13日付 編集手帳

逆に去年起きた長崎の事件は壮絶であった。犯人の心情はいかほどのものだったのか知れないが、こちらはそれほど深く掘り下げられることなく終わったように思う。

 長崎県佐世保市の散弾銃乱射事件で、馬込政義容疑者(37)=自殺=が事件直前、スポーツクラブに誘った高校の同級生の男性(37)に「どうせ人間は死ぬんだから」「もうおれ、こっちに長い間いない」と電話で話すなど、自暴自棄な発言を繰り返していたことが19日、分かった。最初から自殺を決意して犯行に及んだ様子がうかがえ、馬込容疑者が複数の友人を道連れにしようと誘っていた可能性が強まってきた。

 「お金持ちの女性と知り合い、ルネサンス(事件のあったスポーツクラブ)でパーティーをすることになった」。事件2日前の今月12日夜、馬込容疑者から、男性の携帯の留守番電話に誘いのメッセージが入っていた。


 男性によると、翌13日午前8時ごろには電話で会話。「パーティーの後、お楽しみがあるっちゃん。それは来てのお楽しみ」「(仕事を休んだ分の)時給をおれが出すから来てよ。4時間の無料駐車券もあるし、受付でおれの名前を言えば入れるから」とクラブへ来るよう強く促された。


 男性は「(馬込容疑者が)これまで女性の話などしたことがないのに」と戸惑い、体調不良を理由に断った。


 14日午前9時ごろ、男性から馬込容疑者に電話し「やはり行けない」と言うと、馬込容疑者は不機嫌になり、「そこそこ稼いで、楽しく生きたほうがいいやろ」と言い放ったという。


 「どうせ人間はいずれ死ぬんだから、人生面白く生きたほうがいい」。この電話では、馬込容疑者の自暴自棄な発言も目立ち、「もうおれ、こっちに長い間はいない。遠くに行くから」と投げやりに語っていたともいう。


 捜査本部によると、馬込容疑者は幼なじみや同級生ら少なくとも5人にスポーツクラブに来るよう誘っていたが、実際にクラブへ行ったのは射殺された漁具製造業、藤本勇司さん(36)、男性とは別の同級生だけだった。


 一方、県警捜査本部は同日、事件は無差別殺人ではなく、亡くなった水泳インストラクター、倉本舞衣さん(26)を狙って凶行に及んだと断定。倉本さんを第1の標的にし、藤本さんについても狙い撃ちしたとみている。


 先に撃たれたのは、倉本さんだったとみられることも判明。事件の3日前、倉本さんと交際していた男性がクラブ内で面識のない馬込容疑者に突然話しかけられていたことからも、捜査本部は馬込容疑者が倉本さんの殺害後、藤本さんを自殺の道連れにするため殺害した可能性があるとみて、調べている。

「どうせ人間死ぬんだから」 自殺覚悟で犯行? 佐世保の散弾銃乱射事件

事件後は銃が規制強化の対象となった事も有名だ。

 民主党は26日、長崎県佐世保市での散弾銃乱射事件を受け、銃規制を強化するための銃刀法改正案と火薬類取締法改正案を来年の通常国会に提出する方針を固めた。


 同日、国会内で開いた銃器対策ワーキングチームの初会合で一致した。銃の保管場所については、自宅での保管を原則とする現行法を改め、警察署や射撃場、銃砲店など自宅以外の場所で「共同管理」する案か、「先台(さきだい)」と呼ばれる散弾銃などの主要部品を警察署で預かることを検討する。


 また、銃の所持許可を弾力的に取り消すことができるよう「欠格事由」の見直しや、銃のインターネット販売等の規制、購入した弾数・消費弾数・保有弾数の報告の義務化などが検討点として挙がっている。


 佐世保市の事件では、容疑者の行動に不安を持った近隣住民が、銃の所持許可を取り消すよう警察に要請したが、その後も許可されていたことなどが問題点として指摘されている。民主党は、許可行政のあり方に問題があったと判断し、法改正を含めて抜本的な銃規制を検討することにした。

銃規制強化で民主党が法改正案を提出へ

秋葉原の事件ではナイフの規制強化が行われたが、それよりも派遣法の見直し議論が進んだ。事件が起きるたびに凶器に使われた物を規制をしたところで根本的な問題の解決にならないと気付いたのかもしれない。

 舛添要一厚生労働相は13日の閣議後会見で、改正が検討されている労働者派遣法について、「日雇い派遣は厳しく考え直すべきだ」と述べ、日雇い派遣を原則禁止する方向性を明らかにし、秋の臨時国会に改正案を提出する意向を示した。


 同法を巡っては、厚労省は今春の法改正を目指していたが、日雇い派遣を禁止にするかなどで労使の意見の隔たりが大きいことから改正を見送っている。同省に派遣労働の研究会を設置し、改正の方向を検討している。また、不安定で低賃金の日雇い派遣の実態に対する批判が高まる中、野党や与党の公明党も原則禁止を盛り込んだ改正案について議論している。


 舛添厚労相は「通訳など必要に応じて派遣される専門業務については1日ごとの派遣も妥当だが、メーカーでやっているような派遣(の仕事)は、常用雇用が普通であるべきだ。基本的に日雇い派遣はやめる方向でやるべきだ」と述べた。


 一方、東京・秋葉原の無差別殺傷事件に関し、逮捕された加藤智大容疑者(25)が派遣労働者だったことから、各都道府県労働局に派遣元や派遣先に関係法令順守を徹底するよう指示を出すことを明らかにした。【東海林智】

日雇い派遣:専門業務除き禁止、今秋にも法改正案 舛添厚労相が意向

 東京・秋葉原の無差別殺傷事件を受け、厚生労働省は13日、各都道府県の労働局と日本人材派遣協会など人材派遣関連4団体に労働関係の法令順守を徹底するよう要請した。


 殺人未遂の現行犯で逮捕された派遣社員、加藤智大(ともひろ)容疑者(25)は携帯電話サイトの掲示板に「年収が低い」「工場勤務を転々としている」「リストラされるかもしれない」など、仕事への不満を数多く書き込んでいた。このため、派遣元と派遣先企業に雇用管理の徹底を求め、労働局には局内にある相談窓口を周知するように指示した。


 舛添要一厚労相は13日午前の閣議後会見で「派遣をめぐるさまざまな問題が起きている。今やれることは、きちんと法を順守してほしい」と話した。

秋葉原通り魔事件を受け、「労働者派遣、法令順守を」 厚労省が関連団体に要請

ちなみに私の友人は毎月100時間もの残業をする派遣労働者であるが、事件前と事件後とで労働時間が変わったと言う話はなかった。が、別の正社員の友人は「事件直後、派遣社員を刺激しないよう通達があった」と朝礼で言われたらしく、企業によって対応は様様だったようだ。

 自民、公明両党の「新雇用対策に関するプロジェクトチーム」(座長・川崎二郎厚労相)は2日、低賃金や違法労働などが指摘される派遣労働の問題改善に向け(1)派遣会社が得る手数料(マージン)の開示義務付け(2)日雇い雇用の原則禁止−を柱とする労働者派遣法改正の基本方針を固めた。


 与党で近く案をまとめ、これを基に厚労省は8月下旬にも召集される臨時国会に労働者派遣法改正案を提出する方針だ。


 関係議員によると、派遣会社の過大な手数料取得に歯止めをかけるため、これまで非公開だった手数料の情報開示を義務付ける。雇用形態が極めて不安定な日雇い雇用は、通訳など専門性が高い特定業種に限り例外的に認める。


 舛添要一厚生労働相日雇い派遣の原則禁止を検討する考えを既に表明。具体的内容は、労使の代表者らが参加する厚労省労働政策審議会で議論される見通しだ。

派遣会社の手数料開示 法改正へ与党方針

 派遣労働者保護のため、自民、公明両党がまとめた労働者派遣制度見直し案の全文が2日、明らかになった。


 派遣元企業が受け取る手数料割合(マージン率)の公開を義務付けたほか、派遣先企業にも労災保険の補償責任を求めている。同一企業グループ内に労働者を派遣するいわゆる「専(もっぱ)ら派遣」について、規制を新設する。


 与党は8日に見直し案を決め、舛添厚生労働相に法改正を要請する。厚労省は要請を踏まえ、秋の臨時国会に労働者派遣法改正案を提出する方針だ。


 見直し案は〈1〉派遣労働者の雇用安定・待遇確保〈2〉労働者派遣事業の適正化〈3〉違法派遣への対処――の3項目から成り、それぞれ具体策を盛り込んでいる。


 派遣元は派遣先から派遣料金を受け取り、必要経費や社会保険料などと、手数料を差し引いた残りを賃金として労働者に支払っている。しかし、マージン率が明らかにされていないケースが多いとされ、「派遣元が必要以上に搾取し、低賃金の一因になっているのではないか」との指摘が出ていた。


 このため、見直し案ではマージン率をはじめとする情報公開の徹底を求めた。公開によってマージン率の適正化促進が期待されるほか、派遣労働者にとっては派遣元企業選択の判断材料とすることができる。


 「専ら派遣」については、現行法では「特定の者」への派遣は禁じられている。しかし、例えば、企業グループの親会社が、派遣元を子会社に作り、派遣先をすべて同一グループ内の複数企業とすることは可能。このため、見直し案では、「労働者の処遇の切り下げに用いられやすい」とされ、派遣できる労働者数の上限比率を定めるなどの規制を新設する。

 労働者が派遣先で仕事中に事故に遭った場合の労災保険についても、現在の派遣元の補償責任に加え、派遣先企業に関し「法律上の災害防止責任が反映される必要な措置を取る」と明記。現行は派遣先に事故の原因があっても労災保険にかかる費用を負担する義務はないが、派遣先が補償責任を負う仕組みを設ける。


 また、派遣先がさらに別の企業に派遣する「二重派遣」など、違法行為を繰り返す企業名などを即時公表できるよう運用も改善する。現在も公表できるが、過去の適用例はゼロで、実効性が疑問視されていた。


 一方、すでに原則禁止を決めていた日雇い派遣については、「通訳」など専門知識が必要で一日単位の派遣が妥当な業種を特定した「ポジティブ・リスト」を作成することとした。それ以外は原則禁止とし、リストに明記する具体的な業種は、厚労省有識者研究会の検討に委ねる方針だ。

派遣労働者の待遇改善、マージン公開義務など与党見直し案

日雇い派遣が問題なのではなくて、派遣そのものが問題なのであるという点は無視である。
当然、こんな意見も出る。

 舛添厚労相が13日、ワーキングプアの温床ともなっている「日雇い派遣」を禁止する方針を示したが、肝腎の派遣労働者の間からは、「仮に日雇い派遣が禁止されても、派遣会社は抜け穴を見つけるだろうし、派遣労働者の苛酷な生活は変わらない」と疑念の声があがっている。


(略)


 そもそも工場の住み込みで働こうという派遣労働者は金に困っている若者が多い。派遣会社は生活費と称して幾ばくかの金を貸す。前借金となり、これも給料から引かれる。1ヶ月しゃにむに働いても手元には1〜2万円しか残らない。


 これでリストラされれば、住家さえ失う。秋葉原無差別殺傷事件の加藤容疑者を弁護するわけでは決してないが、自暴自棄になっても不思議はない。


 「日雇い派遣禁止」について、労働問題を専門に手がけるある弁護士は「1日雇いは禁止して、日数を延ばせば済むという問題ではない。『登録型派遣』も禁止にしなければならない。常用雇用が原則だ」と語る。

【ハケンという蟻地獄】日雇い派遣が禁止されても…

偽装請負が無くならない限りは意味の無い政策に終わるかもしれないので、是非次回の国会に於いては包括的な議論を望む。
また余談ではあるが、低所得なのは派遣社員だけの問題ではないこともあわせて考えて欲しい。

 収入が安定しないアニメーターの夫を支えるため、違法に風俗マッサージ店を経営していたとして、風営法違反の罪に問われた中国籍の女性被告(40)の初公判を16日、東京地裁で傍聴した。


 起訴状によると、被告は平成20年4月9日、営業禁止地域にある東京都新宿区のマンションの一室で、女性従業員に性的サービスをさせた。罪状認否で被告は起訴事実を認めた。


(略)


 検察側は「職業犯的なもので、一般人も入居するマンションの一室で行われ、地域の善良な風俗を害した」として懲役8月、罰金100万円を求刑した。


 夫の収入が安定していないのは心細いことだろうが、違法行為をしてもいい理由にはならない。「性的サービスを始めてから利益が上がった」というが、そういう利益の上げ方は安直に過ぎるのではないかと思った。

【法廷から】違法マッサージでアニメーターの夫を支えた女

アニメーターの賃金は下記を参照。

労働時間は1日平均10・2時間で、月間労働時間は推計250時間となった。一方、平均年収は100万円未満が26・8%、100万円以上200万円未満が19・6%、200万円以上300万円未満が18・6%と、3人に2人は300万円未満だった。


 中でも、原画を基に絵の動きを描く「動画担当」のアニメーターは出来高払いが8割を占め、1枚あたりの報酬は平均186・9円。年収は100万円未満が73・7%を占めている。

日米アニメーターの年収比較。

某声優がラジオで「夢を売って霞を食って生きている」と冗談交じりに言っていたが、アニメ製作に関わる方方の生活は非常に厳しそうだ。そう言う方方も結婚はするのだろうが、親に余裕が無ければ満足に育児ができるわけがない。

 平成19年度に全国の児童相談所が対応した児童虐待の相談件数は、前年度より3295件増えて4万618件となり、初めて4万件を突破したことが17日、厚生労働省の集計(速報値)で分かった。対応件数は集計を始めた平成2年度(1101件)以降、毎年増加。13年に2万件を突破してから、わずか6年で倍増した。


 厚労省虐待防止対策室は、「16年に通告義務を拡大した改正児童虐待防止法が施行され、虐待への世間の関心が高まり、わずかな兆候でも連絡されるようになった結果ではないか」と分析している。


 集計対象は、児童相談所への通報・相談のうち、虐待と判断され、一時保護などの対応をとった案件。47都道府県と、児童相談所を独自に設置している政令指定都市など19市の計66自治体の対応件数をまとめた。


 前年度より対応件数が増加したのは29都道府県と13市。増加率が最も大きかったのは山形県(74%増)。鹿児島県(67%増)、札幌市(54%増)が続いた。減少したのは18府県と4市で、減少率が大きかったのは鳥取県(37%減)で、広島市(26%減)、福井県(25%減)と続いた。


 また、児童相談所で調査や保護者の指導に当たる児童福祉司は20年4月1日現在で全国で2358人。心のケアなどを行う児童心理司は1013人で、ともに昨年より増加した。

児童虐待相談、初の4万件突破 厚労省

必然的に子供の為に自分の夢を諦める方も居るのだろう。アニメが日本の文化であると言うのであれば、文化の担い手の生活は最低限保護すべきだ。


しかし仙台の事件を併せてもトラックを規制すべきだ、という意見は出なかった。

トラック暴走 運転の男逮捕 殺人容疑も視野に動機を追及


 仙台市青葉区のアーケードを4トントラックが暴走し、はねられた6人が死傷した事件で、宮城県警仙台中央署は2日、トラックを運転していた同市若林区出身の住所不定、無職、大友誠治容疑者(38)を業務上過失致死傷容疑などで緊急逮捕した。同署は殺人容疑も視野に入れ、詳しい動機について追及している。この事件で2人がまもなく死亡し、約12時間後に意識不明の重体だった女性も死亡した。


 調べでは、大友容疑者は2日午前9時5分ころ、レンタカーのトラックで、赤信号を無視して交差点を右折し、アーケードに進入。蛇行運転をし、通行していた▽仙台市青葉区米ケ袋2、会社員、高橋和香子さん(44)▽同区国見4、会社員、関根健二さん(24)▽同市宮城野区五輪1、会社員、林淳子さん(42)の3人を次々とはねて死亡させたほか、3人に重軽傷を負わせた疑い。


 大友容疑者は「人をはねて死ぬつもりだった」「自分も死のうと思って火をつけたが体が熱くて死にきれずに交番に出頭した」などと供述。さらに、「トラックで仙台港に向かったが死ぬことができなかった。仙台市内の公園に止めたトラック内で寝ようとしたが眠れなかった。朝になって仙台駅周辺を走った後、アーケードに進入した」とも供述しているという。

 同署によると、大友容疑者は定職がなく、東京・上野などでホームレス暮らしをしていたといい、3月29日に仙台市内のレンタカー店でトラックを借りることを予約し、4月1日に借りた。その際、2日午前に返すとして店に約3万円の料金を支払ったという。


(略)


 宮城県警によると、大友容疑者は定職がなく、東京・上野などで野外生活をしていたという。3月29日に仙台市内のレンタカー店でトラックを借りることを予約し、4月1日に借りに来た。その際、2日午前に返すとして店に約3万円の料金を支払ったという。


 大友容疑者は「トラックで仙台港に向かったが死ぬことができなかった。市内の公園でトラックを止めて寝ようとしたが眠れなかった。朝になって仙台駅周辺を走った後、アーケードに進入した」などと供述しているという。

今回の仙台アーケード暴走殺人では・・・

この事件ではトラックを貸し出したレンタカー会社に賠償命令が出たというのに、トラック自身の危険性は問われなかったわけだ。

 仙台市のアーケード街で2005年、大友誠治受刑者(41)=無期懲役が確定=がトラックを暴走させ7人が死傷した事件をめぐり、亡くなった女性=当時(44)=の遺族が市などに計約7700万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁は13日、トラックを受刑者に貸したニッポンレンタカーサービス(東京)に約6400万円の支払いを命じた。歩道設置管理者である市への請求は棄却した。


 潮見直之裁判長は「自動車損害賠償保障法に基づき、運行供用者として人身損害を賠償すべき責任を負う」とレンタカー会社の責任を認定。「受刑者の殺人罪が刑事裁判で認定されたことは、会社に賠償責任があるという結論を左右しない」とも指摘した。


 仙台市の責任については「事故は通常予測できない行動に起因するもので、責任を負うべき理由はない」とした。


 ニッポンレンタカーサービスは「主張が認められなかったのは残念。内容を検討して控訴するかどうかを決めたい」としている。

レンタカー会社に賠償命令 トラックのアーケード暴走

では池田小学校で宅間氏が起こした事件でナイフ販売店の販売責任は問われたのだろうか。業界全体の規制が強化されただけではないか。トラックによる大量殺人が複数回行われたと言うのに全く規制が行われないというのは、規制強化がトラックの販売台数が減ってしまうと考えた一部の方の意向なのではないかと勘ぐりたくもなる。


またオタクと言うことで加藤氏と宮崎勤氏を比べる人が居るが、それは見当違いである。

日前、つまり6月8日に秋葉原で無差別殺傷を起こした加藤智大は、自殺するつもりはなかった。何かを守りたいわけでもなく、ただただ社会、家庭、友人関係、その他もろもろの不安や不満を爆発させたかっただけだったと思う。
最後に警官から銃を突きつけられたとき、加藤智大はナイフを放り出して抵抗を止めた。死にたくなかったからだと思う。人を平気で殺しておいて、自分が傷つくのは嫌だったのだ。


そんな加藤智大が、もし宮崎勤死刑囚の死刑執行を直前に耳にしていたなら、こんな馬鹿なことはしなかったかも知れない。二人は、犯行時の年齢が25歳という共通点がある。そして、まったく同じ目をしていたように思う。生気のない、狂気に満ちた目だ。


家庭環境や、家族に対する思いなど、異なる点も少なくないが、一人狂気の世界に入り、自分を世間から隔離してしまったところなど、加藤智大は宮崎勤に対してある種の親近感を持っていたのかも知れない。それが無意識的なものだったのか、意識的なものだったのか、本人でないと分からないことだが、犯行現場で自分よりも立場が弱い人間を襲うことで、それまでの自分が置かれていた立場とまったく逆の立場で自分を見失い、優越感に浸ることで現実逃避をしようとしていたのではないかと、何となく思えてくる。そこには、宮崎勤が、幼女を殺害することで何かを得ようとした狂気に通じるものがあるように思える。


もし犯行の前に、世間を震撼させ、何か通じるものがある宮崎勤が死刑になったと聞けば、もしかしたら加藤智大は犯行を思いとどまったかも知れない。自分が嫌になったこの社会に対して反乱を起こしても、その忌み嫌った社会のルールによって自分が殺されることになるかも知れないと分かれば。たぶん、加藤智大は事件を起こした時、そこまで考える冷静さがなかったのだと思う。


加藤智大の犯行以後、いたずらで殺人予告をして逮捕されている者が何人も出ている。遊び半分でやっていたことだろうが、事の重大さを理解する能力に欠けているのかも知れない。これも、宮崎勤死刑囚の死刑執行の報を聞いていたら、果たしてそんな馬鹿なことをしただろうか。恐らく止めていたと思う。たぶん、これからはそうしたいたずらが、宮崎勤死刑囚の死刑執行によって、抑制されるのではないかと思う。


このように書くと、まるで死刑制度を称賛しているかのように取られてしまうかも知れないが、そういう意味で書いている訳ではない。ただ、死刑執行による犯罪抑制効果は、少なくともあるように思う。終身刑制度のない日本では、死刑制度によって重罪を防ぐことも意味があるのだと思う。


ただし、死刑制度が単に犯罪抑制効果のためだけにあるのなら、それは言語道断だ。人の命を利用することは、決してあってはならない。まして、もうすぐ始まる裁判員制度では、死刑か無期懲役かを選択しなければならない時、簡単に死刑を選べるだろうか。今回の加藤智大の裁判が裁判員制度の下で行われた場合、事件の真相を探るために死刑を回避すべきか、許されない犯行に対して極刑を与えるべきか、一般市民の裁判員が冷静に判断できるだろうか。個々の裁判員の信条によっても判断は大きく変わってくるだろう。誰か重罪を犯した死刑囚の死刑執行が直前にあったならば、それに影響されることもあろう。それは逆に、死刑判決を鈍らせることになるかも知れない。


こうしたことから、もし宮崎勤死刑囚の死刑執行が10日前に行われていたなら、加藤智大が犯行を断念し、恐らく死刑制度に対して「それでいいのか?」という疑問の方が大きくなっていたのではないだろうかと思う。裁判員制度を前にして、死刑廃止論が強くなっていたかも知れない。


しかし現実は、加藤智大が無差別殺傷を起こし、その直後に宮崎勤死刑囚の死刑が執行された。この死刑執行に対して、加藤智大の無差別殺傷を連想するなら、死刑廃止論に疑問を持つ人も出てくると思う。果たして、加藤智大に対する怒りの広がりに対して、死刑廃止論者は説得力のある議論を展開できるだろうか。難しいのではないかと思う。


執行を決定した鳩山法相は、意図的に宮崎勤死刑囚を選んだのか、偶然に順番からそうなったのか、よくは分からない。だが、死刑制度に対して大きな影響を与えるだろうことは、鳩山法相も承知していたはずだ。

宮崎被告の死刑執行があと10日早かったら

事件内容で比べるなら仙台の事件と比べるべきだろう。もし仙台の事件について死刑が確定しており、その刑が執行されていたとしたら、加藤容疑者が同様の手順で事件を起こしたのかと言うのは分からない。まあ加藤氏の考えの浅さは先に述べた通りなので、死刑にしようがしまいが同じような行動を採ったとは思うが。

宮崎勤の死刑執行は、加藤智大の事件との関係性がないとはいない。


国家や社会の多数派からのメッセージである。


恋愛勝ち組&経済勝ち組の価値観や体制に異を唱えた下層男性「ワーキングプア、NEET、ひきこもり、いじめられっこ、精神障害者、オタク、ブサメン&キモメン」には、《死をもたらす》という明確な意思表示である。


加藤智大も、この事を、刑事さんから聞いていると思う。


今回の宮崎勤に対する死刑執行は、社会秩序を維持するという意味で、重要なことであることは否めないが、この儀式は、それでけではない。


宮崎勤と加藤智大が、事件を起こした年齢が、同じ25歳であることだ。


雑誌に、R25というものがある。


この雑誌のターゲットは、大卒&正社員&彼女ありの男性である。


加藤智大や宮崎勤とは、別次元にいる男性である。


つまり、この対極にいる《25歳以上の社会の最底辺にいる男性》は、政府、企業、マスコミそして社会から生存権を認めないと言っていること同義でないだろうか。


凄まじい事をすると、新聞を読んだ時、愕然とした。


勝ち組は、これで、世の中が安定して、自分たちの利益をが守られて、多数派の国民の支持を得れると、本気で思っているのだろうか。


だとしたら、あまりにも稚拙な発想といえなくはないか。


加藤智大も宮崎勤も、現実に失望し、ニヒリズムからテロの及んだのである。


自分も加藤や宮崎と同じ境遇にあるなら、いずれは、国家に死刑を執行される。


なら、自分から・・・・


そこから先のシナリオは言わなくてもいいだろう。

加藤智大 神 宮崎勤と加藤智大 裁かれるオタク 彼らの接点 R25

自らを社会の底辺だと思い込んでいたと言う点についてはその通りであると思う。差別された負け組による犯行と言う図式は70年前に起きた津山事件から何ら変わらない。それでも人は差別を止めないのだから本当に昔から「凶悪事件は他人事」だったのだろうと思う。
70年経っても全く進歩してないという事実を知ると、何ともいえない気分になる。