出産に関する女性の負担

【断 神田茜】女性惑わす母性偏重」について、2点。
その1。

 不妊治療に通っている友人が「卵子も古くなるなんて誰も教えてくれなかったよね」と言う。通っている医者に言われたのだそうだ。どういうことかというと、女性は生まれたときから既に一生分の卵子を体内に持っていて、20代のころよりも40代のほうが卵子の待機している期間が長く、老化のため不妊、流産などのリスクが高くなるということらしい。しかし、よく調べてみるとそれもひとつの考え方であって、証明されたものではない。男性だって高齢はリスクになるはずだ。

私を含め、多くの人は自分の人生を数十年先まで見通すことはできない。短絡的な思考に陥り軽はずみな行動をしてしまう恐れは誰にでもあるし、よく考えて行動したが思い通りにいかないなんてことも多多ある。意図せぬ妨害に遭うこともあれば、突然の病気に襲われて計画が頓挫することも珍しいことではない。だからと言って全てを天に任せて好き勝手なことをすれば良いというわけではない。人事を尽くして天命を待つと言う言葉があるように、良い結果を残すためには自分でできる最善を尽くすのが重要である。
そしてその最善を尽くすために必要なのが知識である。だからこそ人は多くの知識を得るために学ぶのだ。教わると言うことは学ぶ意思があってこそ存在するものであり、筆者の友人が出産に必要な知識を学ぼうとしたことが一度でもあったならば「教えてくれなかった」と言っても良いであろうが、学ぼうとしてこなかったのであれば、単に自らの不勉強さをアピールしているに過ぎないだろう。
この方は「○○党が政権を執ったらこんなことになるなんて誰も教えてくれなかったよね」とでも言うのだろうか。


その2。

 世間では母性を偏重する風潮が年々高まり、産めよ殖やせよ、しっかり育てよと女性にばかり荷を背負わせているような気がする。その上、不確かな情報に振り回されて疲れ果てる。そんな姿を見て、若い女性たちが子供を産み育てようという気持ちになれるだろうか。

未婚率は1980年代から急増しているのだから、筆者が年年高まっていると感じている母性を偏重する世間の風潮が未婚率の増加に繋がっているとは到底思えない。筆者の言う「年年」が70年代からもう40年近くずっと感じてきたことであれば問題は無いが、私はそんな風潮があったとは到底思えないし、実感もしてこなかった。


若い女性たち」がどの年代をさしているのか不明なのでいまいちピンと来ないが、20代、30代、40代と、それぞれ結婚の理由が違うだろう。例えば現在40代の女性は1960年代生まれ。バブル景気に沸く90年代初頭にジュリアナ東京に於いて半裸でジュリ扇振ってた方方である。「自分の自由な時間が減る」と結婚を避けても仕方が無いくらいに遊びまくってた世代なのだから、結婚を考えてこなかったのもある意味し方が無いのかもしれない。30代はこういうことが未婚率の上昇に繋がっていると思う。

未婚男性の年収は女性の結婚相手に期待する年収と比べ少ないのが現実だ。青森の未婚女性の多くは年収は400〜600万を望んでいるが、この年収を稼ぐ未婚男性はたったの1.7%とかなりのギャップだ。


東京の場合、未婚女性の多くは年収は600万以上を望んでいるが、この年収を稼ぐ未婚男性はたったの3.5%とこれもまたかなりの格差がある。


これはパート・アルバイト、フリーターといった不安定・低収入層が若年層で増加し、高い収入の層は既に結婚している場合が多いためと考察される。

20代は良く分からないが、似たり寄ったりな事が原因ではないかと思う。自由を謳歌するのは良い事かも知れないが、アリとキリギリスの童話から学ぶことは無かったのかは疑問。これも教えてくれなかった事なのかもしれないが。


以上2点より、私は別に昨今の風潮が母性を偏重するようなものだと思えないし、また仮にそうだったとしても、それが女性に結婚のプレッシャーを与えていると言うことではないと考えている。むしろ今の風潮は女性優遇であり、それが女性の権利拡大を訴えすぎるからこそ男女が結婚を考えないようになっているように感じる。「このような催し物」が良い例だ。

 京都府八幡市男山の市生涯学習センターで2日、「第13回やわた男女共同参画るーぷフェスティバル」が開かれた。カップルの間で増えているという「デートDVドメスティックバイオレンス)」を扱った寸劇などが披露され、市民ら約150人が本当の優しさについて考えた。


 「やさしさと感じるこころを育てよう−みんなの自立を願って」をテーマに、同市女性団体連絡協議会が主催した。


 寸劇は「恋の奴隷−優しさって何?」と題し、「デートの費用を払わす」や「相手の携帯電話を勝手に見る」、「行動を束縛する」など、近年のカップルに多いという「デートDV」のケースを取り上げた。

この内容を見ると、大多数の男性は恋人からデートDVを受けていることに成る筈だが、この会の主張によると女性側が上記のような行動を取ってもDVでは無いが、男性側が行うとDVになるそうだ。これを女性優遇と言わずして何と言うのだろうか。
とは言え、男性が受けるDV被害への対応が考慮されていないのはこの団体だけではない。例えば東京都では男性が受けるDV被害は保護されない

 被害男性の相談内容は「『もっと働け、クズ』などと言葉による暴力を受けた」のほか、「殴られて肋骨(ろっこつ)を折った」「熱湯をかけられた」などの身体的暴力を訴えるケースもあったという。


 女性が被害にあった場合、都が、自宅とは別の施設に一時保護するなどの対応をとるが、男性の場合は同様の施設は整備されていない。


 都は「相談内容を分析しながら、男性被害者に対する具体的な対応を検討していきたい」と話している。

そんな世の中がどれだけ男性にとって生き難いのかと言えば、自殺者数が女性の3倍と言うことからも推測できそうなものだ。40〜64歳までの男性の自殺率の高さや、20代以降、つまり社会に出てからの男性の自殺率は、同年代の女性と比べて2〜4倍をキープしている。この数値を異常に感じるのは私だけだろうか。
女性の権利よりも先ず考えられるべきは、男性の権利ではないか。いや、社会に出てからの自殺率の高さを考えれば、労働者の権利と言い換えることもできるだろう。社会に於いて先ず報いられるべきは労働者ではないのか。その労働者を蔑ろにして女性や子供、部落や在日への手厚い保護のみを行うのは、全く納得ができない。


再度言う。
世間の風潮が女性に母性を求めている事が女性を結婚から遠ざける理由ではない。自らの権利を主張し過ぎてわが世の春を謳歌している女性が、将来と言う現実から目をそらしているだけだ。
年齢と共に卵子精子が劣化するか否かに証拠が無くとも、子供を産めるのは閉経までと期日が決まっているし、男性側がその女性を見て子を成したいと思える状態になれる事にも限度がある。女性は法によって社会から守られるかもしれないが、時間の流れまでも守ってくれるわけではない。人は誰でも老いるし、誰でも死ぬ。今の状態は必ず変化し、それが自分にとって好ましいことである保証は無い。そういった将来を「どうにかなるさ」と無計画に迎えることは楽観的とは言わない。
楽観的に生きるためには知恵が必要である。学ぶ場所や時間はあるのだから、積極的に活用してはどうだろうか。知識を得て現実を知れば、自ずと結婚率の増加に繋がるのではないか。