他者への責任を問い続けた結果

患者は“神様”? 悲鳴を上げる勤務医」について。

最近、「モンスターペイシェンツ」と言われるように、身勝手な患者が増えています。この問題の根底にも、医者の仕事に対する情報不足があるのでしょうか。


福井 医者の仕事に対する理解不足が背景にあると思います。医療は無尽蔵に提供できるものではないということを、多くの人に認識してほしいのです。


 風邪を引いた時に、昼間病院に行くと待たされるから、夜、救急に行ってすぐ診てもらおうなどとはとんでもない話です。重症な患者を診る時間を奪っているという意味で、医療という社会資源をムダに使っている。


 日本では医者に応召義務がありますから、診察を要求する患者には医者は応えなければいけない。例えば救急外来に来る必要のない人がどんどん来る。それでもそういう人を断ったら大騒ぎになるし、反対にそれぞれに対応していたら本当に救急医療の必要な人を診られない。どちらにもいい顔をするのは現実には無理なんです。


 こういった問題は、社会のシステムとして捉えなければいけないのに、政治家や厚生労働省など、対策を立てる立場の人がやるべきことをやっていない。多くの国民が、このままではとてもまともな医療は受けられないと実感し、声を上げるのを待たなければ何も変わらないのではないでしょうか。


(略)


 理不尽な要求をする人が増えています。例えば、1回採血を失敗した。そうしたら、業務上過失傷害だ、院長は文書で謝罪文を書けなどと大騒ぎする。


 また、ある検査をしたら異常がなかった。異常が出ないような検査をしたんだから、お金は払わない…。そんなことを言われるのです。


 毎朝、患者さんからの要望やクレームについて会議をしていますが、こういった話は日常茶飯事です。私が院長になって2年と10カ月くらいですが、この1年は特にひどいなと感じています。

「医療はお金を払って受けるサービスなのだから、提供側(=病院)が享受側(=患者)の満足のいくものを提供するのが当然だ」と無理難題を要求するような状態は、接客業における「お客様は神様です」と言う言葉が独り歩きして変な客が増加していることに似ている。提供側が人である以上、常にミスの無い満足のいくサービスを提供できるはずが無い。
まあそういった客(=患者)が訴訟を起こす手助けをする弁護士も多い事が問題に拍車をかけているような気がする。そのうち「この弁護士は満足なサービスを提供できなかった(=法廷で勝てなかった等)んだから、費用は払わない」と言うような「モンスタークライアント」と言う存在が生まれ、自らの首を絞める可能性もあるとは思わないのだろうか…?まあもしかしたら既に生まれているのかもしれないが。

―― 勤務医が減っているという状況も加速しています。


福井 病院から1人働き盛りのドクターが辞めれば、残されたドクターはますます忙しくなり、また辞めてしまう。


 高邁な気持ちで医療に携わろうと思って医者になった人たちが、実際に病院で働いてみると非常にディスカレッジされることが多い。診療に30分〜1時間は時間をかけたいと思っても、現実にはそんなに時間を割けない。多くの患者さんを待たせることになります。


 もっと深刻なのは、医療の現場では、どれだけ良い医療を行っても亡くなる患者さんがいることです。例えば2006年、福島県立大野病院で起きた事件です。担当医が1人で分娩に当たった際、予想外の疾患が見つかり、出血多量で患者さんが死亡したというものです。この産婦人科医は逮捕されました。


 医者にとってこれは大事件でした。本当に過誤があったかどうかは分かりません。当時、産婦人科医がたった1人で医療に携わらなければならなかった状況を考慮に入れているのかどうか…。


 いずれにしても、この事件を見て多くの医者は、最善の医療を行っても、患者さんが亡くなれば逮捕されるかもしれないという恐れを抱いた。この事件をきっかけに、産婦人科だけでなく、外科や内科を専攻する若い医者が少なくなってしまった。お産を取りたくない、手術をしたくないという人は、多くなっています。


―― 小児科が減っているのも問題視されていますが、産科医が減っていく状況は、止めようがないのでしょうか。


福井 現状では止めようがないですね。聖路加でも、出産を制限しています。もちろん、断られた人からはしょっちゅう文句が来ます。当然です。それはよく分かっていますが、スタッフのオーバーロードのことも考えなければならない。


 東京都済生会中央病院は今年3月で産科を閉じると聞いています。東京ですらそういう状況ですから、地方はもっとひどいでしょう。

「地方の産科の悲惨さ」に関連した先日の記事。どうやら県立南会津病院の産婦人科休診の恐れが出てきた。

県立南会津病院の産婦人科が今年の4月から休診になる恐れのあることがわかりました。南会津地方では唯一の産婦人科で休診となれば深刻な状況です。南会津町にある県立南会津病院の産婦人科では2人の医師が診察や出産の対応にあたっています。しかし2人の医師が今年の3月いっぱいで退職することになりました。後任の医師は決まっていないということで4月から休診になる恐れが出ています。年間100人以上が出産する県立南会津病院の産婦人科は南会津地方で唯一出産できる医療機関で休診になれば深刻な状況となります。また県立南会津病院の産婦人科が休診することになれば県内6つの県立病院全てで産婦人科が休診することになります。

上記のインタビューにもあるように、原因とされたのは一昨年の福島県立大野病院の事件のようだ。以下、それに関連した一連の流れを羅列。

 福島県警富岡署は18日*1、同県大熊町、県立大野病院の産婦人科医師加藤克彦容疑者(38)(大熊町下野上)を業務上過失致死と医師法(異状死体の届け出義務)違反の疑いで逮捕した。


 医師が届け出義務違反で逮捕されるのは異例。


 調べによると、加藤容疑者は2004年12月17日、同県内の女性(当時29歳)の帝王切開手術を執刀した際、大量出血のある恐れを認識しながら十分な検査などをせず、胎盤を子宮からはがして大量出血で死亡させた疑い。また、医師法で定められた24時間以内の所轄警察署への届け出をしなかった疑い。胎児は無事だった。


 医療ミスは、05年になって発覚。専門医らが調査した結果、県と病院側はミスを認めて遺族に謝罪。加藤容疑者は減給1か月の処分となった。

これを受け、医療現場から反発の声が上がる

手術の死「医師個人の責任問えるのか」


 福島県大熊町の県立大野病院の産婦人科医が、帝王切開手術で妊婦を失血死させたとして逮捕、起訴された事件で、日本産科婦人科学会などが16日、会見し、「故意や悪意のない医療行為に対し、個人の刑事責任を問うのは疑問」と抗議、医療現場に波紋が広がっている。


 この事件は、女性(当時29歳)の帝王切開を執刀した医師(38)が、子宮に癒着した胎盤を無理にはがして大量出血させ、死亡させたとして、業務上過失致死と医師法(異状死体の届け出義務)違反の疑いで逮捕され、今月10日、福島地裁に起訴された。医師は14日に保釈された。


 福島地検の片岡康夫・次席検事は「血管が密集する胎盤を無理にはがせば、大量出血することは予見できたはず。はがせないものを無理にはがした医師の判断ミス」と起訴理由を説明している。


 これに対し、同学会は会見で、〈1〉胎盤の癒着は数千例に1例と極めて少数で、事前の診断は難しい〈2〉胎盤をはがすかどうかは個々のケースや現場の状況で判断すべきだ〈3〉適切な処置をしても救命できないことがある――などと反論した。

この事件、先日12回目の公判が開かれ、遺族らの意見陳述がなされた

私もそうですが、誰でも自分がかわいい。しかし、自分のとった行動、言動には責任をもつことが、大人として当然だと思います。いいわけをせず、大人として責任をとっていただきたいです。子供と妻のために、責任を追及し、責任をとってもらいます。私も父親の責任として、子供を育てていきます。


(略)


真実はひとつだと思います。この裁判が、医療の実態の探究につながります。そして、妻の死の原因の解明につながり、私のような家族を再び生まないことにつながると思います。全国の女性の安心しておこなえる出産につながります。未熟なものなので、誤解があるかもしれない部分はお許しください」

自分の発言に誤解があれば「許してください」程度の責任しか取ろうとしていないのに、他人の責任を追及しすぎる被害者の夫に嫌悪感を覚えてしまうのは私だけだろうか?これがモンスターペイシェンツ(遺族だからペイシェンツは間違いか?)と言うものなのかもしれない。
ちなみに公判の内容をまとめたものが遺族らの会見として発表される。

 最初に陳述に立った女性の夫は、手術前に加藤医師から説明を受けたときのことを振り返り、「輸血を用意し、万が一に備えて応援医師も依頼してあるという加藤医師の言葉に、『そこまでしてもらえるのか』と安心して、すべてを託した」「『天国と地獄』という言葉があるが、それがそのまま、当てはまる状況だった」と語った。


雪のつもった福島地裁。公判前整理手続きが行われているにも関わらず、公判は1年を超えた=25日、福島地裁(撮影:軸丸靖子) 帝王切開手術当日。予定通り、女性が手術室に入って、まもなく赤ちゃんが生まれた。


「ところがいつまで経っても妻が戻ってこない。看護師に聞いてもはっきりしない。そのうちに奥の部屋に呼ばれて、先生が突然、『申し訳ありません。亡くなりました。いま蘇生しています』と頭を下げた。手術の説明を受けたが、とても納得のいくものではなかった」


 夫が繰り返しのは「責任」という言葉だ。柔らかい語り口ながら、激しい言葉使いで医師を非難した。


 「(結果が悪かった)責任を(患者の身体状況に)転嫁しないでほしい。何が欠けていたのか、なにがミスだったのかを厳粛に受け止めてほしい」


 「弁護側は、医師の処置には問題はなかったというが、問題がないならなぜ妻は亡くなったのか。人間の体はさまざまというが、それに対応するのが医師の仕事だ。分娩室に入るまで健康だった妻はどうして亡くなったのか。病院は不測の事態のための設備を整えているはず。ということは、ミスが起きたのは医師の責任だ」


 「私は、子どもと妻のために、医師の責任を追及する。責任を取ってほしい。取ってもらいます」

そもそも遺族が何を持って医師が責任を取ったとすると考えているのか分からない。

 「病院は真相を明らかにしてくれなかった」「納得のいく説明がなかった」という指摘もまた、小説『白い巨塔』の時代から言われている医療界の問題だ。


 もう何年も前から、医療機関には医療安全対策を講じることが求められている。そのマニュアルには、何か起きたらリスクマネジャー(事故防止や事故対応の担当者、医師や婦長クラスの看護師が多い)がすぐに患者・家族に知らせ、病院長以下が直接、迅速に対応するよう、書かれている。遺族への説明には、リスクマネジャーや病院長らが同席し、担当医1人に任せない。こうした気配りが、医師―患者間の信頼関係を維持し、医療事故を“紛争”に発展させないための最善の策だからだ。


 弁護団代表の平岩敬一弁護士は、「本当は、遺族へのケア――『これはこういうことなんですよ』と説明してくれることが、必要なんだと思う」ともらす。


 それは、司直が手出しする話ではなく、医療界が率先して担うべきことではないだろうか。


 大野病院事件の遺族の意見陳述には、ここまでこじれずに済んだのでは、と思われる部分が多々ある。無論、患者側にも問題はあるだろう。医療に何かを求めるなら、もっと医療を理解しなければならない。そもそも日本の医療は多くを求められるレベルにない。そのことが、一般に知られなさすぎることも事実だ。

加藤医師はきちんと手術に関する説明をし、あまつさえ遺族に以来され患者の墓前に土下座までしているのだが、それは加藤医師の責任の取り方とも遺族のケアとも言えないらしい。であればもう日本の医療制度の問題云云ではないと思うのだが…
また上記の流れの中で、県外の医師もリスクに合わないと辞職

 「精いっぱいやっても患者が亡くなれば逮捕。これではやっていけません」


 昨年夏、公立病院に勤務していた一人の女性産婦人科医(42)が、そんな理由で医療現場を去った。月6回の当直日は翌日夕まで32時間の連続勤務。仕事の合間にコンビニエンスストアのおにぎりをかじり、睡眠不足のまま手術することも。たまの休日でも呼び出しがかかる。スタッフ削減などで仕事は増える一方だ。


 体力の限界。この生活がいつまで続くのかという不安。燃え尽きる直前の女医に、白衣を脱ぐ決断をさせたのが福島県で起きた「大野病院事件」だった。(略)


 大野病院事件のショックで産婦人科医を辞めた女性は今、化学会社の専門職として働く。「改善の取り組みがなければ、踏みとどまっている元同僚たちも、遠からずいなくなります」

以上のように、既に地方においては医療崩壊の流れが行き着くところまで来てしまっているようだ。これは今の訴訟社会化しつつある日本においては当然の流れなのかもしれず、今後は多くの地方で見られる現象になるのだろう。
「医者は給料が良いんだから多少の訴訟リスクは負うべきだ」と言う意見については、下記の引用が適切な回答になっていると思う。

 そもそも、日本は診療報酬が外国と比べて格段に低いのです。医療費の報酬体系がすごく安く設定されている。先日、医師の技術料を0.38パーセント引き上げることになったと言いますが、こんなわずかな数字には意味がありません。総医療費の枠内で奪い合っていても根本的な問題解決にはなりません。


 世界一レベルの医療を要求しながら、それをサポートするお金も人もないというのが現状。そのギャップがどんどん大きくなっているように感じます。


―― それでもお医者さんはお金持ちだというイメージは、一般には根強くあります。


福井 それは、マスコミ報道の影響です。ベンツに乗ってゴルフをしているというのは、ほんの一握りの、おそらく開業医のイメージですよ。ほとんどの勤務医はそんな暇などありません。


 医者はお金をたくさん使って遊び回っているというイメージだけが一人歩きしている。そのせいで、国のお金が医療の方へ回ってこないという悪循環があるのかもしれません。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080201/146131/?P=2

とは言え、勤務医の平均年収は1200万強、つまりサラリーマンの平均年収の3倍弱と言う高収入な立場であることに変わりない。が、高級車を乗り回して豪遊できるほどの額ではないし、上記のさまざまな引用に基づくと時間的な余裕があるとも思えない。また、この年収が労働に対する対価として適切なものかどうかも微妙。


産婦人科医の方*2から下記のような意見が出る。

人間が妊娠すれば、一定の確率で、母体死亡、子宮内胎児死亡、死産などが起こる可能性があります。どの病院でも、『妊娠管理した妊婦さん全員がすべて正常分娩で、すべての患者さんの満足度が100%』なんてことは絶対にあり得ません。医学が進歩し、昔と比べれば分娩もはるかに安全になりましたが、予測不能で、発症すれば、誰が主治医で、どの病院で管理していても、母体死亡となる可能性の高い産科疾患(羊水塞栓症、血栓肺塞栓症、癒着胎盤の大出血、など)は未だに多く存在します。
人間誰しも、結婚して、妊娠して元気な子供を産んで、幸せに暮らしたいと願っています。母体死亡の危険を承知で妊娠する人なんていません。ですから、妊娠すれば「おめでとうございます」とみんなに祝福され、本人も家族もまさかそれが不幸のどん底の始まりになるかもしれないなんてことは全く考えていません。不幸にも分娩時に母体死亡となった時には、思い描いていた将来の幸福な家庭生活の夢が一瞬のうちに崩れ去り、不幸のどん底に突き落とされてしまいます。その現実を受け入れるのに時間がかかるのも止むを得ないことだと理解できます。怒りの感情の持って行き場が、一時的にでも、担当医に向いてしまうのも、人間の感情としては、止むを得ないことなのかもしれません。
どんな病院でもどうしても救えない命があります。必死で救命しようとして頑張りぬいた医師が、結果が悪ければ、通常の殺人事件と同様に殺人者として裁かれるということであれば、誰もそんな危険なギャンブルのような仕事に従事しようとは思いません。裁判ということになれば、無益な法廷闘争のために、莫大なエネルギーと時間を費やさねばなりません。弁護士や裁判官は、それがお仕事なので、いくらエネルギーや時間を費やしても全然惜しくはないと思いますが、医師にとってはそれは本来の仕事ではありません。そんなことのために無駄なエネルギーや時間を費やしたくありません。最終的に無罪を勝ち取ったとしても、最終的な判決がでるまでに10年以上かかってしまうようでは、それこそ人生台無しです。定年退職の年齢になってから無罪放免なんて言われても、人生やり直しはできませんから、もう手遅れでうれしくも何ともありません。
地域医療のために一生懸命に努力して、地域には多大な貢献をしてきたのに、たまたま極めてまれで治療困難な症例に遭遇して結果を出せなくて厳罰に処せられるとすれば、それは悲劇としか言いようがありません。

http://tyama7.blog.ocn.ne.jp/obgyn/2006/03/post_1a3f.html

医者は神様ではない。これはどの職業においても言えることだが、専門職だからといって失敗しないわけではない。投資の専門家であるファンドマネージャーも赤字を出すこともあろうし、高度な知識を持ったプログラマが開発したWindowsには膨大なバグがあり、一流の設計者らが知恵を絞って作り出したF1にもマシントラブルはつき物だ。
失敗に対して「何が原因か」を探る事は重要だが、その「責任」について「賠償」を求めるのは行き過ぎではないか。


ちなみに用意されていた1000ccの輸血用血液について。
街中で実施されている献血において、成人男性が1回にできる全血(赤血球などを含む赤い血)の量は400ccが上限。またそれだけ献血をすると、最低3ヶ月(女性の場合は4ヶ月)は献血ができない。つまり、どうがんばっても1人から採れる献血の量は年間1200ccまでなのだ。まあ全血された血液は分離保存されるそうなので、献血で400cc採られたからといって、輸血用血液が400ccできるのかという訳ではない。
また多くの女性や18歳以下の人には、体重や年齢制限などによって、採取できる血液は200ccが上限。4週間に1度できるので年採取量は全血よりも上なのだが、感染症の問題などがあるのであまり推奨はされていない様子。輸血用血液の値段を知ると「無料で採っておいてその価格で売るのか!」と怒鳴りたくもなったが、それでも私は献血を続けている。
多少話がずれたが、つまり輸血用の血を集めるという事は大変だということ。簡単に増産できるのだからと余ったら捨てればよいというわけでもなく、血液型や体質に関係なく誰にでも輸血できるようなものでもなく、長期保存が効くようなものでもなく、慢性的な血液不足が(献血所において)叫ばれている中、万が一を考えたからと言って、1000cc以上の血液を用意すると言うことは難しいことではないか。それに用意した量が多ければ多いで「実際に使わなかったものを費用として算出するのは医者がボッタくってるだけだ」と訴訟を起こされかねない事項だろう。
医療品を用意することがどれだけ難しいのかと言うことを理解するだけで、医療ミスと呼ばれる事象についての印象ががらりと変わるのではないかと思うのだが、どうだろうか。

*1:引用注:2006年2月18日

*2:この方が本当に産婦人科医の方なのかは分かりません。真偽のほどは各人の判断に任せます。まあすべての情報は疑ってかかるべきですが…当然このサイトも