教育バウチャー制度について反対、と言う意味では同じなのだが…

教育バウチャーという名の格差拡大政策」について。
教育問題の解決方法を「東京都の財源を地方に割り当てる」とした点については絶句した


以下、それ以外の部分について。


以前書いたが、教育バウチャー制度を導入しなくても現在でも教育格差と言うものが行われているのが実情だ、と言うのが私の意見だ。その点については氏のコラムに於いても

 日比谷つぶしという目的は見事に達成されました。しかし、受験戦争はなくなるどころか低年齢化しました。数少ない小中高一貫の国立や中高一貫の受験名門の私立、幼稚園から大学までエスカレータ式の私立など、いずれも小さいときから選別と受験が始まるところの人気が高まりました。


 当然です。大企業の一流大学の優先採用は変わらず、一流大学が受験生の狭き門であることは変わらなかったからです。勝手に競争を放棄し劣化が進んだ都立高校は、一流大学を目指す受験生とその親に見放されてしまったのです。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20071119/141038/?P=3

と、受験年齢の低年齢化が進んでいるとの分析がある。つまり、既に教育格差は行われていると言うのは共通認識があると思う。
なのに

 世間で評判のいい学校は、とかく恵まれた、つまりお金持ちの多い地域にありがちです。その逆に、評判の悪い学校は、経済的に余裕のない地域にありがちです。そして、遠いところにある評判のいい学校に子供を通わせられるのは、余裕のある家庭の子供たちが多いでしょう。予算を減らされる評判の悪い学校に通うのは、どうしても余裕がない家庭の子供が多くなるでしょう。


(略)


 同じ町内でも、評判のいい学校に通う子供と、評判の悪い学校に通いつづける子供ができるわけです。仲良くできるでしょうか。評判の悪い学校はますます荒れるのではないでしょうか。荒れた学校に乗り込んで良くしよう、という先生がいても大変でしょう。毎年予算が削られる中で苦労することになるでしょう。


 教育バウチャー制度は、地域と学校との結びつきにもダメージを与えるでしょう。小中学校は地域が支えていくものです。地域の学校を住民が捨てて、よさそうなところに子供を越境入学させるようなことが蔓延すれば、地域は荒れていくでしょう。こんなことが続けば、生徒も先生もなかなか寄りつかない学校を作ることになるでしょう。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20071119/141038/

と、現状の私立学校を利用しても起こりえている問題点を教育バウチャー制度反対の理由にしているのは理解できない。もし上記の理由が問題だとするならば、私立学校の存在そのものが問題になるのではないか?なんとなく、教育バウチャー制度反対の為の論として書かれているような気がしてならないのは残念だ(それは私の読解力に起因するものかもしれないが)。


また、幾ら教育再生に金がかかるからと言って

 財源が余っている東京から足りない地方へ、お金持ちの地域からそうでない地域へ、子供の競争条件を対等にするために、思い切って教育予算を配分してこそ、日本の夢も成長も復活するでしょう。


 夕張の子供たちが、今の計画のように小学校を1つに統合されるのではなく、いまよりお金をかけて教育を受けられるようにすることこそ、日本に必要な投資です。かつて、小泉さんは「米百俵」という話を持ち出し、他を切り詰めても子供の教育にお金を使うことの大切さを訴えました。世間はそれに共感したはずです。


 ところが、いつのまにか、財政が苦しいから、と苦しい自治体の教育予算をカットします。そんなことをするより、税金が余っている東京都などから財源を取り上げても、全国の子供の教育に回すべきでしょう。そのうえで、教育の世界に地域の自由な発想と経営評価を持ち込めば、また日本人の能力が世界を驚かせる時代が来るものと信じています。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20071119/141038/?P=4

と言う暴論は看過できない。
東京都だって金が余ってる訳ではなく、都民は自らの友人や子供、周囲の方方と恙無く暮らせるように血税を払って生活をしているのだ。地方と言う言葉を何処までの範囲で定義しているのか分からないが、少なくとも東京都の財政は、都内から1時間圏内の近隣3県(千葉・神奈川・埼玉)とは共栄関係にある為に使われるべきではあろうが、財政破綻した遠方の自治体に割り当てられるようなお金ではない。
そもそも米百俵の話を例に出すのであれば「福祉財政を切り詰めて教育財政に当てるべき」と主張すべきだろう。


私は公立学校は現在のままセーフティーネットとして完備しておき、私立学校に対する援助や国立学校を増やす事などにより、能力に応じた進学先を子供達が選べるようにするのが良いと考えている。つまり、公立学校の改革を公立学校の制度変革によって行うのではなく、私立学校や国立学校等を含む教育システム全体を見直す事によって教育改革を行うべきだ、と言うもの。
例えば私立学校に補助金を出して学費を安価に抑えるような案であれば、既存インフラを活用した上で教育バウチャー制度を導入する事と同じメリットが教授できるのではないかと思う。もちろんこの案の場合、コストが高く付くと言うのが問題点ではあり、大規模な学校の統廃合等も必要になってくるだろうから、私の意見に問題が無いわけではない。


話しはズレるが、謎と言う意味では別の方のブログ「それで解決するなら簡単ですけどね」で語られている

不平等感を無くすには、社会の価値観を一定にするべきだという発想自体を変えるか、家族制度を解体するか以外の方法は、まず無いでしょう。

「家族制度の解体」が不平等感を無くす方法である、という点も謎だ。家族が無くなれば不平等感がなくなるのだろうか?