報道に中立性はない

前記の内容を書いている最中に思い出したことがある。
先日、学生時代の先生と話をしている際、「報道機関のあり方とはどういうものなのか」という事について少し意見を交わした。
私としては「偏った報道は正されるべき。報道機関は中立であるべきだろう。」と主張したが、先生は「報道機関は中立になれないのだから、各各が報道を取捨選択できる能力を磨くべきである。」と主張した。


先生も私も、「報道機関は、間違っている、若しくは意図的に事実を解釈し、あたかもそれが真実であるかのように報道している」という共通見解を持っている。
その上でどうしたら良いのか、という事。
私は「報道機関が変わるべきだ」とし、先生は「人が変わるべきだ」とした。


結局、どちらも実現する事は相当に難しい事であり、この話は意見の交換に終始した訳だが。


誰もが世の中で起きている事実全てを網羅する事ができず、しかしある程度網羅しなければ複雑に絡み合った世の中の出来事を理解できないのだとすれば、氾濫する情報について一定の取捨選択を行う報道機関という存在は必要だろう。
なので「中立ではない報道機関は潰れるべき」とは言わないが、大衆扇動をするような内容になるのは控えて欲しい。


喉元過ぎれは熱さを忘れると言うが、太平洋戦争も新聞各社の戦争賛美が原因で続いた側面は否定できないのだし、我我も報道機関と言うものが常にそういった危険性を孕んでいるという事を忘れてはならない。