JASRACの存在意義

JASRAC常任理事の方のへインタビュー


一番気になったのは以下の部分。

 そうなれば、うちは必ず儲かるわけですから。

http://japan.cnet.com/interview/biz/story/0,2000055955,20364047-2,00.htm

JASRAC自らの紹介に於いて

昭和14年、公益を目的とする社団法人として設立されたJASRACは、著作物がデジタル化されネットワークで世界をかけ巡る時代を迎えた今、あらためて公益法人としての立場を自覚し、60年を超える実績と経験をベースにデジタル化・ネットワーク化時代の著作権管理のあり方を追求するとともに、そのルールづくりを担い、人々にとってかけがえのない音楽文化の普及・発展に尽くしてまいります。

と、自らを公益法人として認識しているの。であれば、公益に従事すべき責務があり、「儲かる」といった営利目的団体であるかのような発言は己の存在意義と矛盾するのではないか。


以下、気になった部分をピックアップ。
1.
自らの存在意義を

 「JASRACの役割とは何か」と尋ねられれば、定款の第4条である「音楽の著作物の著作権者の権利を擁護し、あわせて音楽の著作物の利用の円滑を図り、もって音楽文化の普及発展に資すること」です。これは揺るぎようのない部分といえます。

http://japan.cnet.com/interview/biz/story/0,2000055955,20364047,00.htm

とするならば、

 また、現時点においてYouTubeニコニコ動画にコンテンツを提供しているコンテンツホルダー東京メトロポリタンテレビジョン吉本興業、EMIミュージックなど)もいらっしゃいますが、仮にサイト運営者側と正式にパートナーシップを結んでいた場合においても、管理楽曲の使用が認められた場合においては使用料の徴収、ないしは削除要請を求めていきます。

http://japan.cnet.com/interview/biz/story/0,2000055955,20364047-3,00.htm

と言うような行為は、己の存在意義と矛盾するのではないか。


2.

 その際、権利者が個別に許諾作業を行っていては時間と手間を要します。JASRACが一括管理することで、定款にある「利用の円滑」を図っています。いわば、音楽作品を利用したコンテンツ展開を行うためのインフラとなっているのです。

http://japan.cnet.com/interview/biz/story/0,2000055955,20364047,00.htm

であるならば、

 時折、権利者の方から「分配金が届かない」といった苦情が持ち上がることがありますが、それは所属事務所との契約であるか、またはJASRACの関知しない権利であるかのどちらかと考えられます。

http://japan.cnet.com/interview/biz/story/0,2000055955,20364047,00.htm

という問題が起きないように対処すべきなのもJASRACではないか。
事務所と契約をしていない個人権利者に対してはこのような問題は発生していないと言えるのか。


3.
もし、

 ただし、あくまでも正式な契約が必要です。その前提として、まず違法コンテンツの削除。次に、協会が権利者に対して使用料金を分配するために必要な情報提供システムの構築です。それらをどのような仕組みで整え、またいつから運用するのかが明らかになれば、その時点で正式契約を結ぶ考えです。

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と、演奏楽曲の詳細が分かるようになるのであれば、

 契約体系については、地上波テレビ局同様、総収入の2%をお支払いいだだく形になります。理屈的には個人複製をオープンしたユーザー個人に料金を収めていただくのが正式ですが、それを運営主体であるYouTube、ないしはニコニコ動画が本人にかわって処理する、という形式を採用することになるでしょう。

http://japan.cnet.com/interview/biz/story/0,2000055955,20364047-2,00.htm

と言ったような、収入に対する一律徴収という事ではなく、曲数に応じた料金を徴収すべきではないか。JASRAC管理楽曲YouTubeニコニコ動画等の売上に2%も貢献しているとする根拠は何か。
また、収入を基準に著作権料の支払い云云が決まるのであれば、チャリティーやボランティアの方方が演奏する音楽については、著作権料の支払いを求めていないと言うのだろうか。


4.

 また、そうした動画共有サイトにおけるコンテンツの2次利用が「新たな創造を生んでいる」との指摘もありますが、個人的には「切り貼り」は創造にあらず、と考えます。

http://japan.cnet.com/interview/biz/story/0,2000055955,20364047-3,00.htm

同じ曲であっても歌う人が違えばまた印象はガラリと変わるとか、編曲することで限局とはまた違った魅力を引き出すことができる、という事が理解できず「切り張り」と切り捨ててしまうのであれば、音楽著作物に対する理解が低いといわざるを得ない。
また、音楽が映像を伴うことで全く違った創造物になるという事を理解していないのであれば、映像作品を語る資格もない。歌と映像の組み合わせによって、その映像作品の価値は物凄く左右される。極端な話、「東京ラブストーリー」のOPが「ラブストーリーは突然に」ではなく「スーダラ節」だったとしたら、作品の方向性はガラリと変わる。


利権を手放せと言っても仕方がないのであえて追求しないが、「既存の楽曲から搾取する」のではなく「音楽文化を育てる」事で著作権収入の増加を図るように考え方をシフトしない限り、限られたパイを食い尽くすことにしかならない。
学校や育児施設での演奏、ボランティア団体による演奏などについては、もっと自由に権利を認めて欲しいものだ。それが将来の著作者になり、JASRACに新たな利益をもたらすことになると、長期的な視野での収入増加を考えて欲しいが…役人の天下り先という性質上、短期利益しか追求しえないのかもまた、仕方がないのかもしれない。