抗議理由が分からない

手話通訳に「気が散る」 三笑亭夢之助さん謝罪 (共同通信)」について。

聴覚障害者3人を含む約250人が聴いた。開始後間もなく「落語は手話に変えられるものではない」と発言、通訳に離れるよう求めた。話を聞いた県ろうあ連盟が落語芸術協会安来市に抗議文を送付した。

抗議する理由が何処に有るというのだろうか?
例えば、オペラや歌舞伎を手話で楽しむ事ができないという事にも賛同できないだろうか?


私にとって落語はオペラと非常に近い位置に有る。
同じ演目であっても演じる方によって台詞回しが違ったり、声の抑揚の付け方、それに伴う体や小道具の表現方法の差があり、同じ物語で有るにも拘らず、受け取る印象が全く違うものになったりする。そういう技術の集大成で有る落語から噺家の声を取り除き、代わりに手話で表現したとして、それが落語と言えるのだろうか?


自分の権利を主張するのは勝手だが、それによって他の方の権利を妨げていないか考えて頂きたいものだ。健常者が障害者に優しく接する事は必要だと思うが、それは健常者の思いやりであって障害者の権利ではない筈だ。


追記:「<落語家・夢之助さん>「手話通訳気が散る」島根の敬老会で」の方が詳細ですね。
流石に事前連絡も無く噺家の隣に立たれては…