男の人権を考え…てるのか?

“男性の人権”を見直そうという記事。

 木全さん自身、「新しい日本をつくる国民会議」(21世紀臨調)−「生活者起点推進会議」運営委員などを引き受けるうち、「どの会に出ても、9割以上が男性という状況をおかしいと感じていました」と言う。「日本企業の不祥事の数々をご覧なさい。幹部に女性がもっといれば、あんなことは起こらないはず。男性の多くは、企業論理のために倫理を犠牲にできる。企業が死ねと言ったら、死にます。でも女性は、8割までは会社に尽くしても、人間として許されないことにはNOと言えるのです」

世代を無視して男女だけで語るのは横暴だろう。
実際、若者の離職率が高いのは企業が死ねと言ったら逃げるからではないか?
何事に於いても「女性だから」とか「男性だから」と無理につなげる事には違和感を感じる。

「使われていない能力が眠っているのは、女性だけではない。『仕事人間』と思われていた男性にも、家庭人としての素晴らしい能力が眠っているのではないかと気づいたのです」

気付かずに今まで女性の活用を主張してきたのだとしたら、この方は男性を下に見てきたとしか思えない。


この手の話でどうも納得がいかないのは、「女性が活躍できないのは男性社会の所為だ」とする点だ。
女性側の抱えている問題点については全く触れない、若しくは抱えている問題点は社会側が吸収すべきだと主張する事。
「女性を採用しない」のではなく「女性が採用できない」若しくは「特定の条件に満ちていない労働者は雇えない」という点で物事を語ることはできないのだろうか?
少なくとも、労働力人口完全失業率も男のほうが高い*1のだから、現在の社会構造を女性の側からだけ見て変革を促そうとするのはナンセンスである。


ただ一つ、とても難しく思うのは下記の点。

 「『仕事か家庭か、どちらか一方』という選択は、もうやめましょう。お互いに眠れる能力を生かして、バランスよく生き生きと、男女が一緒にやっていけたら、本当に素敵なのではないでしょうか。そうすれば、日本は真の『美しい国』になっていけると思います。そして、諸外国からも心から尊敬され、期待される国になるのではないでしょうか」と木全さんは語った。

確かに良い親でありたいし、配偶者にとって良い配偶者でも有りたいと思う。
が、打ち込むべき仕事がある方に「家庭も両立しなくては」では、仕事が成り立たない。
日本における唯一の資源が人材であるとするなら、子供の将来の為にも働くべき者が働くべき時に働かねば成り立たない部分もあろう。
仕事に時間を割けば割くほど、その分野での成果を上げる事ができる。
程程に仕事をしていては国際競争力を失うのみで、結果、今のような生活を送る事が困難になるのではないか?
それは真に子供たちの未来を考えている事になるのだろうか?


とは言え、家庭をおざなりにして仕事のみに打ち込むことが良い事とは思えない部分もある。
この点は未だ私の中で決着が付いていない部分ではあるので、今後何らかの答えを出せるよう考えていく必要がある。




非常に興味があるのでNPO法人女子教育奨励会が主催する男の働き方を変えようというシンポジウムは参加してみたいものではあるが、実際に職場で働いている人が参加することは難しい。
働いている男性の意識を変えたいなら、少なくとも定時後くらいに開催し、働いている男性が参加できるよう配慮して欲しいものだ。
少なくとも私は参加できそうにない。
非常に残念である。