敵とか味方とか最初に言い出したのは誰なのかしら?

女の敵は女」というエッセイについてお話しよう。


私はここで「これは男女差別ではない」とか言うつもりは無い。
単に良い歳をした大人が、自分の所属する集団の暗黙のルールを自分の良いように捻じ曲げた事にあきれただけだ。


確かに、悪習は正す必要がある。
しかし長い間培われてきた制度を自分の代だけで強行に変革を進めてしまっては、周囲との軋轢を生むだけである。
「では、後は男だけで」と言われる前に、"長男"に対し「慣習では男だけかもしれないが、私も法事に参加させて欲しい」と伝えておくか、または今回の法事は諦めて次の法事は参加できるようお願いをするという事でも構わないだろう。
親戚一同がそろう中、幾ら正しい(と自分では思っている)主張をしたところで、周囲からの反応は「空気読め」では無いだろうか。
筆者の発言によって周囲がどのような反応を示したかという事が分からないが、私としては兄嫁の一人によって皆が爆笑したことで場の雰囲気が和んだとさえ思うので、兄嫁の行動は助け舟と介錯している。


経験上、「幾ら正しくてもお前のいう事は聞かない」と言われた事も有る私としては、人を説得する際には理の通った正しい発言も大切ではあるが、聞き手にとっての自分の影響力の方が重要である、と思っている。
その影響力は日日の努力の積み重ねである。
この作者が日頃から親戚関係を大切にしてきたのであれば、周囲の反応も違っていた筈だ。
何の努力もせずに「私にとって都合が悪いからそのルールを変更しろ」と言うのは余りにも勝手だろう。
甥に

「そんなこと言うとまた洋子おばちゃんがうるさいよ」

と言われる時点で筆者の日頃の親戚付きあいの内容は押して知るべしだろう。
自分の所属する集団に於いて、自分が異質だと感じるのであれば、集団から離れるのが一番だと思う。
離れられないとするなら、一定の我慢は必要だ。


好きなように生きられれば良いのだが、ソレを実現するには能力的な不完全さが手伝い、大多数の人間は一人で生きていく事はできないので、集団に所属せざるを得ないのだ。
であれば、デメリットは有る程度我慢するしかない。
我慢できないデメリットは変更すべきかもしれないが、その変更によって周囲がどれだけの影響を受けるかも考慮しなくてはならないだろう。
自分にとってのメリットが他人にとってはデメリットになる可能性は容易に想像が付く筈だ。


正しい主張をしても周囲が変わらない場合、「変わらないのは周囲の所為だ」と自分の責任を放棄することはたやすい。
そういった場合は今一度「自分の落ち度は何だったのか」と振り返る必要があるだろう。
失敗から自分の非を何も見出せないようでは、同じことの繰り返しで進歩は無い。