物物交換の未来性

NHKの番組「地域発!ぐるっと日本」にて、「クローズアップ東北」を放送していた。
その内容に非常に興味を引かれた。
その内容とは、とある村同士が地元の特産品を交換し合い、お互いに必要なものを補完しあう仕組みを作った、と言うもの。炭焼きをしている村は炭を提供し、それを必要とする漁村は魚等の食料とその炭を交換していた。それぞれを必要とする者同士が直接取引きをしあうことで、市販価格よりも安価で必要とするものが手に入ると言うメリットがある。


直接生産者と消費者が市場を通さないでモノを取引すると、モノの値段は非常に安価になる。
分かりやすく言えば、中古本を古本屋に売るのとネットオークションに出品するのとで差があるのと同じ事。古本屋という仲介業者を通さない事によって仲介業者の手数料分だけ本の値段が高くなる。もちろんその分だけ売り手側の労力は増えるので、仲介業者を使うと言うのも選択肢では有り、仲介業者の存在自体を否定するものではない。
ネットオークションを使った方には経験があるかもしれないが、個人間で売買をした際の労力と言うものは、手間に関することだけではない。売買時のトラブルや様様なクレーム等、スムースな取引が出来ないと言った問題が発生する可能性がある。そういったトラブルへの対応ノウハウは、やはり専門でやっている業者には適わない。そういった点から、仲介業者を使うのは賢い選択であるとも言える。つまりどちらの方が優れていると言うわけではなく、商品の売買についてはそれらを上手く使い分けるのが重要である。
上記の例で言えば、中間業者を通さない事は非常に有効な選択肢であろう。
見知らぬ相手との物物交換であればトラブルは絶えないだろうが、そういった枠組みを作る為に協議を重ねる事でお互いの理解が深まっているのであれば、トラブルも発生しにくいだろうし、トラブルの対応もそれほど難しくは無いのかもしれない。


地域の特産物を特産物同士で交換するようなネットワークが出来れば、一次産業・二次産業の衰退に有る程度の歯止めをかけることが出来るのではないか。一旦市場に流して現金化する事によって生じる「高くて手に入りにくい」「安く買い叩かれてしまう」と言う点を解消することが出来る。
そもそもモノを現金化する事の意味は何か。それは価値の汎用化に他ならない。例えば「米俵1俵」の価値は人それぞれであり、また時期によっても異なる。それでは取引をするのに不都合なので、「米俵1俵」の価値を誰にでも分かりやすい形にしなくてはならず、その為に現金化するのだ。「米俵1俵」は「魚100匹」とも「金100g」とも置き換えてもらって構わない。
モノの価値は常に変動し一定ではないし、またそれを必要とする人には高く売れるが、必要としない人からは安く仕入れることが出来る。その差益で儲けるのが仲介業者であり、過去においてはそういう存在がいなければ個人や小集団が販路を開拓することは難しかった。
しかし交通手段や通信手段が発達した現在に於いては、仲介業者を用いないで独自の販路を模索するのは比較的容易になっている。現金化という経緯を経ずにお互いが必要とするモノ同士を提供し会える土台と言うものは、有る程度整っている。
既存の販路に囚われて「産業が衰退する」と嘆くよりは、自ら販路を切り開くことが今後非常に重要となる。


モノの現金化は手段に過ぎない、と言うことをもう一度考えてみてはいかがだろうか。
「金持ちになること」は「豊かな生活をすること」と言う目的の為の手段に過ぎないと言うことに思い至れば、目的を達成する為の手段が一つしかないと考えるのは愚かであるという事も分かるはずだ。別の手段によってより簡単に目的を達成させられるのであれば、その手段を用いるべきである。


このようにネットワークが発達して様様な販路が確保できるようになることが、拝金主義からの脱却につながり、また豊かで多種多様な生き方への第一歩だと思う。