「民」の定義

経済と言うものについてあまり詳しく無いのですが、「不思議な対応Jパワー」を読んで幾つか疑問が浮かびました。

「J-PowerのIPPプロジェクト一覧」というのがこのJ-PowerのWebにあります。J-Powerが国外の発電会社の49%の出資を持つことは許されて、逆に国外の投資家が10%以上を持ってはならないというのは、すごく身勝手と感じます。2008年3月時点で、出資した国外の発電所で運転中が16件、7,373MWあり、この中で米国とフィリピンの案件はJ-Powerが50%出資しています。


私は、J-Powerが国外に出て行くことに反対はありません。50%超を出資する電力案件があってもよいと思います。TCIの株式買い増しを阻止することは、J-Powerの事業を阻害することになるのではと思います。J-PowerがTCIの増配要求を拒否しました。J-Power経営者が、そう思うのであれば、その対応で構わないのであり、同様にTCIが株式の買い増しをしたいならそれで良いはず。政府が何故口を挟むのかと言いたいのです。


悪影響は、J-Powerにのみならず、国外の電気事業に投資している日本の企業の全てに広がる可能性もあるし、日本は閉鎖的とのことで日本株は、どんどん下がる。日本企業は資金を確保できず、「日落ちる国」が「ますます日落ちる国」になりそうで。かつて、ジャパン・プレミアムといって日本の銀行が欧米銀行より高い金利でないと資金調達ができなかったことを思い出します。

1.
以前、アメリカの石油会社ユノカルが中国に買収されそうになったと言う話がありますが、アメリカ議会の反対にあった為に中止しています。その際、アメリカの対応が閉鎖的であると判断され、株価にとってのマイナス材料となったのでしょうか。私にはそう判断できるだけの材料はありませんでした。どちらかと言えばアメリカの対応は好意的に受け止められたように思います。
今回のJパワーに対する日本の対応は、このアメリカの対応とどういう点が異なるのかが理解できません。確かに日本とアメリカとでは国際的な立場の違いがあるのでしょうが、どういう相違点によって同じような対応が全く違う結果をもたらすと言うのでしょうか


2.
「J-Powerが国外の発電会社の49%の出資を持つことは許されて、逆に国外の投資家が10%以上を持ってはならないというのは、すごく身勝手」だという理由も分かりません。何故ならアメリカが自国企業の買収を防止したように、諸外国は国内の経済状況を鑑みた上で独自の保護政策を採れる為です。各国が「自国企業に対する外国資本の規制」を行う権利を有しており、またそれぞれ行使しているのであるとすれば、Jパワーの件が身勝手であると言われる理由は何処にあるのでしょうか。
逆に国内企業の外国企業に対する投資比率に制限を加えてしまえば、それこそ日本は落ちてゆくのみになりかねません。


3.
国民の生活に必要なインフラ関係を外国資本に委ねても良いものなのでしょうか。インフラ関連の企業に必要なのはインフラ利用者から利益を出すことではなく、より低コストでインフラを利用できることにあるのではないかと思うのです。つまり利益追求が目的である普通の企業とは一線を画すのではないかと言うことです。
もちろん企業努力によってコストが削減できた場合はその分を利益として確保しても良いとは思いますし、その資金を使って各方面に投資する事は、安定的に低コストのインフラを提供し続ける為の行為だとも思います。
ですので、先ず株主の利益ありきで活動するファンド系の投資は、インフラ系の企業にとっては好ましくないと思うわけです。まだ国内ファンドであれば、己の活動におけるデメリットを企業だけでなく社員までも享受することにもなるのであまり無茶なことはしないでしょうが、外国ファンドにとっては別に日本における国民生活がどうなろうと知ったことでは無いのですから、利益確保の為に何をするか分かりません。
インフラ関係の企業に外国資本の参入比率を設けるのは、とても重要なことではないでしょうか。


以上3点が気になったところです。


私は、「民営化」と言う言葉に含まれる「民営」とは、「国民による運営」の事だと思っています。何故その業務がそれまで国営だったのかと言うことを考えてみてください。国民生活にとって重要な役割を果たすものだからこそ国営だったのではないでしょうか。そうだとすれば、それが国民生活を省みない外国企業によって運営された場合、大きな問題になるのではないでしょうか。
私は、資本のあり方を「公」と「民」とに大別するのではなく、「公」「内(=国民)」「外(=外国資本)」と三つに分類して考え、それぞれの役割を考えていくのが重要なのではないかと思っているのですが、いかがでしょうか。