保育所に市場原理は必要か?

石原都政でまたデタラメ発覚 認証保育所、36円で給食づくり」について。

 東京都墨田区認証保育所で、1人当たりの1日の食材費がたった36円だったことが分かった。


 認証保育所は、児童福祉法に基づいて設置される認可保育所よりも設置基準が緩和された東京都独自の制度だが、普通は30円ではキャベツ1玉も買えない。


 園児は一体何を食べていたのか。


「離乳食で使うタマゴボーロを3〜5粒。ヨーグルトを大さじ1杯程度という悲惨な状況です。1カ月2万2000円の食材購入費で、25人の乳幼児の給食、おやつをまかなっていた。開所時の栄養士は『これじゃあ十分な献立が作れない』と辞めてしまい、やむを得ず運営会社が手配した派遣の栄養士が給食を作っていました。ただ、10円の鶏肉や野菜の切れ端など激安スーパーの特売品に合わせて翌日の給食メニューが決まるので、乳幼児の栄養なんて考えていなかったのです」(関係者)


 認証保育所は03年、石原知事の肝いりで始まった施策だ。「都市型保育ニーズに応える」「(国の施策は)低年齢児の受け入れ体制が整っていない」などと自信満々だったが、この男のやることだけに、案の定、弊害ばかりが目立つ。


認証保育所は、設置基準が緩いから、企業参入しやすい。この規制緩和が諸悪の根源です。都は企業間競争でサービスが向上すると言うが、もともと保育所は儲かる商売じゃない。だから人件費や食材費切り詰めなんて事態が起こるのです」(都政事情通)


 それでも、都は認証保育所に07年度予算で67億円の事業費を計上している。

下記は赤旗の記事から引用。

 石原知事は、「世の中安かろう、悪かろうということもある。いささか問題ある。保護者に見せるサンプルと実際の食べるものが違うのは論外だ。厳重に調査、指導すべきだ」と答弁しました。


 また、大山氏は新宿区では、企業が経営する認証保育所では子ども一人一日あたりの昼食とおやつの食材費は百九円と百六十七円で、同区の認可保育所の平均(三百円前後)の約半分にすぎないと指摘。「保育園の給食は子どもたちの成長にとって重要な役割を果たしている。実態調査し、子どもたちの成長・発達を最優先に」と改善を求めました。


 大山氏は株式会社「日本保育支援協会」が運営する認証保育所「じゃんぐる保育園」(荒川区)の園長不在、保育士水増しなどの不正問題について、厳正な対処を要求。安藤立美福祉保健局長は、認証の取り消し問題について、「しかるべき時期に厳正に対応していく」と答えました。

男女共同参画社会を目指す動きの中で託児・育児施設の拡充が求められた事に対する、東京都なりの答えとして認証保育所というものが設立されたのではないかと思うが、結局その実態は悲惨なものにしかならなかった。十分なサービスが提供できないようでは施設としての役割を果たしているとはいえないだろう。
施設件数の数値と言う分かりやすい部分を捕らえて中身を精査してこなかったのは失敗と言われても仕方がないだろう。福祉総合ネットワークの説明によれば、都内の認可保育所は約1600で、認証保育所は約170。我が家の近くにも認証保育所がありバスが運行しているが、そう離れていない場所に認可保育所も存在する。
少子化が問題化している世の中で何故保育所の数が足りないと言われるのかについて想像すると、単に「利用者が利用しやすい場所にあるのが望ましいから」とされたのが原因ではないかと思う。私が良く利用する駅のホームから見える認証保育所は駅の駐輪場の隣に建てられているので、子供を預けて会社に行く事が容易なのだろうなと思う。尤も、常に電車の音を聞きながら一日中室内で(庭が無い為)一日を過ごす事が子供達の発育にとってどういう影響を及ぼすかは分からないが。


施設は規模が大きければ大きいほど、利用者1人当たりの負担額は低くなる。利用者の利便性を考えて小規模施設を乱立させることは、利用者の負担を増やすことに他ならない。この場合、利用者の負担とは利用者が実質的に負担する金額だけではなく、都や行政機関による補助金まで含めての負担である。
駅近くの認証保育所が無いことで遠くの認可保育所を利用せざるを得ず、結果1日1時間、1ヶ月で20時間、年間240時間のタイムロスになったとする。確かに個人の負担は大きいと言わざるを得ないが、その為に都が67億円の巨費を投じる必要があると言えるだろうか。その金額の半分でも認可保育所への補助費として支給する方が、子供達の将来に良い結果を残せるのではないかと思うのだが…
子供のことを第一に考えた場合、どういうことをするのが最も良いのかと言う事を誰もが考えるべきではないか。


「子供の将来を考えるべきだ」と言うのは奇麗事ではない。国にとって人が資産であるならば、0〜6歳までの短期間で親から金を巻き上げることを重視するよりは、確りと育て上げて自ら働けるようになってから経済活動に従事させるほうが良いというだけの事。教育と言うものは文字通り国を富ませるためにあり、明治政府が学校の普及に力を注いだのもその為である。
つまり子供とは貴重な社会財産としてみるべきものであるということ。学校教育などにおいて一部の保護者の苦情を位置から十まで聞く必要は無い。


しかし…男女共同参画社会と言うものは、本当に目指すべきものなのだろうか。今なお多くの女性が「結婚して主婦になりたい」と言っている中、無理やりに女性を社会に溶け込ませようとした結果、痴漢冤罪等の新たな問題を発生させている側面もある。

 大阪府警が11日摘発した地下鉄内での痴漢でっち上げ事件で、痴漢に仕立てられた堺市の会社員国分和生さん(58)が12日、読売新聞のインタビューに応じた。


 府迷惑防止条例違反で現行犯逮捕され、約22時間身柄を拘束された国分さんは「警察官は最初、言い分を聞いてくれず、人生が台無しになるかもしれないという恐怖と大きな屈辱を覚えた」と語り、「家族と、勤務先の社長の励ましが唯一の支えだった」と振り返った。

残念ながら人から性欲と言うものがなくならず、かつ全ての人が理性的に振舞えるわけではない世の中に於いて、女性が男性から性欲の対象と見られてしまい、そのうちの一部が暴走してしまうこともこれまた仕方が無いことだろう。確かに人間には理性があり、その理性に従って自制することが美徳とされては居いるが、それができないからこそ多くの犯罪が存在するのだ。もちろん自制ができないのは男性だけではない。


多くの人は男女平等というお題目が無条件にすばらしいと思っているだけで、男女の違いと言うものについてまじめに考えようとしているとは思えない。男と女で体のつくりが違う以上、集団として過ごす際に役割分担をするのが当然だと言う考えに何故至らないのだろうか?背丈の高低や体重の軽重に始まり人はそれぞれ人は体の作りが違う。それが個性と捕らえて自らの個性を発揮できるところに身を置くからこそ、社会が潤滑に回るのではないだろうか。イチローは野球をやっているからこそイチローなのであり、日日のデスクワークに勤しんだりしたところで、彼の個性が発揮できているとは言えないのではないか。
イチローにデスクワークを強いると言うことに違和感をもてるなら、同じように女性を労働者として振舞わせる事にも違和感が持てるのではないか。本来なら家族の中心として女性が活躍すべきなのに、自由や平等と言った甘言を用いて女性を家から引きずり出して労働者とし、消費社会の構成員として心身を削らせるようになったのは、70年代以降のこと。
何故女性を家から引きずり出すことを目指したかといえば、そうすることで世帯数を増やそうとしたからである。大家族として8人で1世帯を築くよりも、核家族化して2世帯になったり、就学や就業の為に親元を離れて4世帯等の方が、必要な住宅数や家電・自動車台数と言ったものが増えるので、結果内需が拡大する事になる。
71年から変動相場制になり、為替レートが360円から150円(80年代)と急激な円高が進む中では内需の拡大をすることが急務であり、その為に核家族化や一人暮らしといったものが推奨されたのではないかと私は思っている。その為の一つの方便が「男女平等」と言うこと。
そもそも男女平等や人権と言う概念などはここ百年程度で整備された概念なのだから、それが正しいかどうかと言うことは誰にも分からないのである。もしかしたら今の我我が魔女狩りというものについて抱くような感想を、数百年後の人々が人権と言うものについて抱くのかもしれない。正しさの基準はその時代の政府が決めてしまうものであって、時代を超える絶対的な正義というものは存在し得ない。


であれば、そろそろこの身をすり減らすような消費社会から脱却する方法を模索する為の手段として、男女平等化について再考するのも無駄ではないだろう。男女問わず全てが労働者となり、その為に莫大な税金を投入してインフラを整備・維持し、それまで家庭で賄えていた多くの雑事をサービスとして購入するような世の中が、目指すべき幸せな世の中の姿なのだろうか?