平等化について

昨日の日記にて教育バウチャー制度に関するエントリーを書いたのですが、それについて

「家族制度の解体」が不平等感を無くす方法である、という点も謎だ。家族が無くなれば不平等感がなくなるのだろうか?

http://d.hatena.ne.jp/yomotsu-hirasaka/20071126/1196066427

と「それで解決するなら簡単ですけどね」にトラックバックをしたところ、以下のような追記を頂きました。ありがとうございます。

TBをもらいました。そうか、このエントリーの流れで、家族制度の解体が不平等を無くす手段と書いても謎なのか…。そんなに判りづらい流れだろうか。TBをもらったエントリーの作者はきっちりと、元のバウチャーのエントリーも読んでいる。にも関わらず理解してもらえないとすると、エントリーの書き方を大幅に修正する必要があるかもしれないな。


つまり、元記事では「世間で評判のいい学校は、とかく恵まれた、つまりお金持ちの多い地域にありがちです」とされている訳です。そりゃぁその通りで、家計に余裕があれば、自分の子供は少しでも評判の良い学校に入れたいと考える人の方が多いでしょう。それは同時に、恵まれてない人はそういう学校には行けない可能性が上がるということを意味します。それが、バウチャー否定の前提となっています。


がしかし、それだけでは問題解決したことにはならない。というのがここでの趣旨な訳です。つまり、金持ちの子供と貧乏な子供がなぜ出来るのかというと、それは子供が親にひも付けられているというシステムに起因するからで、これがある以上、ある程度の税金をそこに投入したところで本質的な解決にはならないということです。機会の均等を確保するというのが、不平等感を無くす唯一の手段なんですが、それを妨げている最大の要因が、親と子供のひも付け、つまり家族制度にあるということです。


判ってもらえたでしょうか、つか、これ以上判りやすく書きようが無いんだけどな。

「教育格差」の原因が「親の所得格差」であり、それを解決する為には「家族解体」と言う手段を取って「子供と親を切り離す」しかないという事ですね。「是非はともかくそう言う手段しかない」という事なのかもしれませんが、以下前提として、氏がこの案を是として捕らえているのだとします。


教育格差の原因が所得格差であるという点については異論はありません。
ですが国内での教育格差をなくしたところで、結局金持ちは子供を海外で育てて成人後に日本に帰国させ、国内で育った日本人らの指導者的立場に立つという事になるでしょう。つまり家族解体による教育機会の均等などと言うものは、所得格差による教育機会均等の線引きが上のほうに持って行くだけのことで、一部の金持ちとその他の貧乏人といったように極端な二極化を促すだけでしかない、ということです。


親の所得格差が問題と言うなら、「家族解体」と言う手段でなく「全ての教育費用を無料にする」という手段でも実現できそうですし、そちらの方が弊害が少ないように思います。この点については下記に別記します。
それに家庭は子供にとっては重要な教育の場であり、失ってはいけないものであると私は思います。親は礼儀や道徳など躾に関する事まで学校に任せている訳では有りませんし、学校側も躾まで面倒を見る力はありません。
また家族を解体することで家庭をなくした場合、子供の生活の為に別施設を設けることが必要になります。それらの維持費はどうやって捻出するのでしょうか。教育費が無くなるのだからその分国民全員に負担させようと言うのでしょうか?
どれだけの費用をかけるか分かりませんが、結局そうやって作られた養育施設によって育てられた子供らが、多種多様な価値観を持ち、様様な分野で働けるようになるでしょうか。人の考えは経験によって決まるものであり、その人その人によって異なった経験をしてきたからこそ多種多様な人間が存在できる訳です。親の職業がライフスタイルを見習ったり反面教師にしたりするからこそ、自分の将来を考える事ができるのではないでしょうか。


家族を解体することにおける弊害は色色有ります。
例えばその政策を実行した場合、子供にとって良いとしても、配偶者や子供も無く、毎日を一人きりで過ごす働くだけの生活に、どれだけの人が幸せを感じられるでしょうか。そして一人で老い、孤独のうちに死んでいくのが幸せだと言うのでしょうか。人人の心のケアや老人の面倒も税金によって賄うべきだという事であれば、納税者の負担はより一層厳しくなります。
子供も育てば社会の一員となります。働いた金の大部分が子供と老人の為に使われ、自分で使えるお金が殆ど無くなってしまうような社会の一員となることが、子供の幸せとでもいうのでしょうか?
加えて家族が無くなれば家族連れ用のテーマパークや外食産業は寂れるでしょうし、玩具や子供服などの市場も無くなります。またライフスタイルに合わせた自動車や家の買換え需要も無くなりますし、結婚や葬式を開く事が無くなるので葬祭冠婚系の産業は廃れるでしょう。結果、経済は大きく減退します。
そして子供が居ないのなら遺産の相続はできません。結果、個人財産の否定に繋がりかねません。
まるで共産社会ですね。


とは言え、これらは全て私の想像でしかなく、私は正しいと思っていますが具体的な論拠や数値的な根拠などはありません。また女性の社会進出の為に家族が足かせとなっていると唱えて家族解体を唱える女性団体等もあるようですし*1、同様に教育格差是正以外のメリットを氏が感じているのかもしれません。
ですが上記したように、私は家族解体を問題の解決方法として挙げるのは効果が期待できない割には弊害が大きい、極めて非現実的な提案だと思っていますので、そのような提案をする事が理解でき無かった訳です。



まあそもそも

ある程度統一された方向性を持つ価値観を容認するという条件の元では、全ての不平等の温床は家族制度に起因します。これを許容する限り、何を言っても、何もやっても、所詮焼け石に水でしょう。本質的な部分が間違っています。

と言う点が理解できず、その後の話につなげられなかったのだけれど。例えば外見的な要因によって異性からの好感に不平等があるからといって、家族制度が否定されれば解決されると言う問題ではないでしょう。
身体的・外見的な能力にははっきりとした差があり、内面的な能力にも優劣があります。そういった他人と違う部分が差であり、その差によって人毎に扱いが違ってくるのです。そしてその扱いの差に不満を抱けば"不平等感"が生まれるのは当然です。これはどうやっても拭えません。経済的な格差だけが不平等の原因ではないのです。
不平等の原因を論じるなら、幸福だと感じる心こそ不平等の原因と言えるでしょう。何故なら人と違って自分が恵まれている、つまり特別な存在だと感じられる瞬間こそが幸福を感じる瞬間だからです。「生きていることが幸せ」「美味しいものが食べられて幸せ」「モテることが幸せ」等、相対的に不幸せな状況や人が居るからこそ幸せが成立する訳です。
人が幸福を感じなくなれば不平等感は無くなるでしょうが、そんな世界は嫌です。

みんな、配られたカードで勝負するしかないのさ。 それがどんなカードであれ。
 by スヌーピー

*1:この点については以前反論した